【毎日書評】人間関係に疲れてしまう人の特徴は?「人の目を気にしすぎる」「認められたい」
認められたいという気持ちも、度を越せば毒になる
人から無視されたい人などいるはずがありません。誰かに嫌な顔をされれば落ち込んで当然ですし、非難されれば「たしかに自分は劣っているのかもしれない」と思ってしまう可能性もあるはず。それは、見捨てられ、阻害されるかもしれないとう不安にかられるから。 しかしその一方、人からほめられれば気分はいいでしょう。自分のことを覚えていてもらえれば、人生捨てたものではないと感じるかもしれません。つまり人は誰しも、他人からの視線が気になってしまうということ。そこには、承認欲求と劣等感が影響しているようです。 承認欲求は誰もが持つものである。人は他者から認められることで自分の存在価値を確認しようとするものだ。 心理学者アブラハム・マズローも、人間の基本的欲求の中で承認欲求を2番めに置いている。 だが承認欲求を満たすための行動は人それぞれだ。それに当然のことながら、うまくやろうという努力も、認められたいという気持ちも、度を越せば毒になる。(33ページより) この点に関連し、著者はジミンさんという患者のことを引き合いに出しています。この人は誰かと一緒だと、相手の些細な反応にまで神経をすり減らし、すぐにぐったりしてしまうというのです。そうなってしまうのは、「人から面倒なやつだと思われたり、嫌われたりしたらどうしよう」と考え、つねに気を張っているから。 たとえば友だちや会社の同僚たちと飲み会があった日などは、帰宅してから「あそこであの人が笑ったのは、私がバカっぽく見えたからだろうか」「あの人が微妙な表情をしたのは、私のせいなのかもしれない」というように不安になり、いつまでも眠れないということが何度もあったというのです。彼女はそんな自分を情けなく感じ、つらかったそう。 ジミンさんの問題は「関係念慮」が強いことだ。関係念慮とは、周りの人たちが自分を除け者にし、陰口をたたいていると思いこむことである。それにより彼女は会社の廊下ですれ違った人たちが話の途中で笑いだしただけで、自分を見て笑ったのかもしれないと考え、一気に気持ちが落ちこんだ。 (中略)ここで示す関係念慮は、劣等感と深く結びついている。自分自身を「至らない人間」と考えているから、相手もきっとそう思っているに違いないと判断してしまうのだ。(34ページより) 一方、承認欲求を健全に満たしている人は、同じ状況に出会したとしても「なにかおもしろい話をしているのかな?」と思うだけ。当然ながら、その出来事自体もすぐに忘れてしまうことでしょう。(31ページより)