放送アーカイブ構想は「事後検閲」につながるのか?
放送界にも根深い特権意識?
一方、国民の財産である公共の電波を使って放送をしているのですから、いったん放送してしまったものを、報道機関がどのように保存しようと「完全な自由である」と考えることもまた、妥当ではないでしょう。田島教授は、「今は放送済みの番組を後で見ることに対して、報道機関から制約がされることも多く、一般市民や研究者は、なかなか放送番組にアクセスすることができない。放送界にある、根深い特権意識も問題だと思います」と語ります。 「放送局が事実に反する誤った放送をした場合には、訂正放送をさせることができますが(放送法9条)、これは個人の権利侵害がなされた場合に、本人又はその直接関係人が申し立てる場合に限られており、範囲が非常に狭いのです。一般市民が公益的な視点から異議申し立てをするための手段は、さらに拡充させていいと思います。また、研究者は、個人的な利害は無関係に、放送の価値をどう高めていくかを考える使命があるわけですから、番組の中身を評価することをより積極的に可能にする回路を作ることも重要です。そのような観点からは、アーカイブ構想は肯定的に評価されるべきです」(田島教授) 放送アーカイブ構想の文化的価値が認められることに異論はなさそうですが、同時に権力の濫用を防ぐ仕組みを作るバランス感覚が重要ということになるでしょう。それを実現するためには、現在も非営利で放送ライブラリー事業を行っている「放送番組センター」のような団体が運営主体になって権力から距離を取った上で、市民・研究者などの関係者もコミットしていくということなどが、選択肢として考えられるかもしれません。 (ライター・関田真也)