池袋暴走事故から5年…別の暴走事故の被害者遺族の私が松永さんを眩しく感じる理由
2024年4月7日、「池袋暴走事故遺族 松永拓也」さんのアカウントから、次のような投稿がXにポストされた。 【写真】島沢優子さんと弟たち。中央が「とも君」 ---------- 池袋暴走事故の加害者より、返答が来ました。 先日ポストした通り、心情等伝達制度を使いました。 答えないという選択肢もあったなかで、真摯に答えてくれました。 「被害者と加害者という立場を超え、一緒の目線で再発防止を考えることが重要」という私の意見を理解し、再発防止の議論が進むため答えてくれたのだと思います。 ---------- これは4月19日で5年になる池袋暴走事故を起こした被告に、松永さんが質問を投げかけ、その回答の要約を投稿したものだった。遺族が、被告とともに「再発防止」に向け歩みを進めているのだ。 ジャーナリストの島沢優子さんは、実は別の暴走事故の「被害者遺族」だ。松永さんの行動を見て感じたことを心から綴ってくれた。
小学6年の3学期、2月21日のことだった
テレビが映す道路の上に転がった白い帽子に、私は目を奪われた。東京・池袋で車が暴走した事故で亡くなった女性のものだ。5年前の2019年4月19日。妻の真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(当時3)を亡くした松永拓也さんはそれ以来、「世の中から交通事故をひとつでも減らしていく活動」に邁進している。 松永さんに心から共感する一方で、うらやましく思う自分がいる。実は、私もまた家族を交通事故で亡くしている。黒いアスファルトに転がった真菜さんの白い帽子。その白さに、弟の血が落ちた雪の地面が頭によみがえり、息が苦しくなった。 私が小学6年の3学期。2月21日のことだった。前日に雪が降り、九州では珍しく数センチではあるが雪が積もっていた。悪天候が続いたため、放課後はポートボールの練習があった。高学年だけが行うクラブ活動だ。体育館の前で、4つ下の小学2年生だった弟と出くわした。 「ねえちゃん、一緒に帰ろう」 男の子にしては甲高い弟の声が背中ごしに聞こえた。私はほんの一瞬振り返り「練習があるけん、ひとりで帰り」と答えた。うん、とか、ああ、とか言ったかも知れないが覚えていない。目の前で黒いランドセルが揺れてさっと通り過ぎた。それが最後だった。