私だけが知る「アイドル三田寛子」の“真の姿”…それは約40年前のイベントでの出来事(本多正識/漫才作家)
【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#211 三田寛子 ◇ ◇ ◇ 現在は「梨園のゴッドマザー」として知られる三田寛子さん。デビュー当時はほんとにかわいい“女の子”でした。 すっぽんぽんで…篠山紀信ベタ褒め 筧美和子撮影秘話 「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の「寛子のおかし大好き」のコーナーで、おっとりした京都なまりで、タモリさんから「もっと速くパッパッとしゃべれないの?」とツッコまれる“天然ボケ”が人気で一気に全国区のアイドルになりました。そんな三田さんと初めてお会いしたのは1985年前後だと思います。 当時「なんば花月」のイベントで、三田さんとCMで共演されていたプロ野球選手(当時)の田尾安志さんと舞台で対談をしていただきました。駆け出しで構成メンバーの一人だった私は三田さんにコーナーの趣旨説明をする担当で、アイドルの方との仕事は初めてだったのでいつもとは違う緊張感だったことを覚えています。 ■「三田寛子ちゃうやん!」の衝撃 「おはようございます~~」とテレビで見たままのおっとり口調でマネジャーと楽屋入りされた三田さん。ご挨拶をして説明をしている間も「できるかな~」と言いながらニコニコされていましたが、説明が終わると豹変! しっかりした口調の標準語で「すいません確認させていただきます。私が田尾さんにご挨拶をしてからこの質問をすればいいわけですね。わかりました」と15分ほどのコーナーの原稿用紙数枚の内容をキッチリおさらいされて「よろしくお願いいたします」とあらためて頭を下げられる姿を見ながら「人、変わってるやん! 三田寛子ちゃうやん!」と結構な衝撃を受けたことを今でもハッキリ覚えています。 そして「笑っていいとも!」の三田さんのコーナー音楽が流れ舞台へ。田尾さんに近づくと「どうも~お久しぶりです~」といつものおっとり口調の“テレビで見る三田寛子”さんになっていました。 近しいスタッフの方は当然ご存じだったでしょうが「アイドル三田寛子」の“真の姿”を私だけが知ったようでうれしくなりました。関西人にとって関西弁はなかなか抜けないし、関西弁のまま通す方もいる中で、仕事に関してはちゃんと標準語で話す。自分の求められているキャラクターへ瞬時に切り替えられるクレバーさとスマートさ。花火のようにすぐに消えてしまったアイドルとは違い、三田さんはドラマにも出演され、女優として活躍されていましたが、そんなクレバーさが演技にも反映され、数多くのオファーが続いたのだと思います。 その後、結婚された時、アイドルに梨園の妻が務まるのかと批判的な意見もありましたが、あの“頭のいい”三田さんなら大丈夫だと思いましたし、ご主人の浮気問題への凜とされた対応も「三田さんならこれくらいは当然」だと見ています。 能ある鷹は爪を隠す……梨園の妻、母として、しっかり支えていかれることでしょう。 (本多正識/漫才作家)