「好きなだけ野球したかった…」白血病と闘い、17歳で逝った友 ”遺書”に残された思いを胸に、仲間で目指す集大成の甲子園
「心の支えだった」父は野球仲間に感謝
自宅の仏壇にはユニホームを着てほほ笑む荒井さんの遺影が置かれている。「死を受け止め、やれることをやり通した。生きざまが親の想像を超えた」と謙吾さん。荒井さんにとって「心の支えだったと思う」と野球を通じた仲間の存在に感謝する。
泣いていた少年、逃げない頑張り屋
荒井さんは小学生や中学生の頃、泣きながらバッターボックスやマウンドに立つこともあったほど気が小さかったという。だが、その後は堂々とマウンドに立つようになり、さらには病気にも立ち向かうようになっていった。 「うまくなりたい気持ちが強く、苦しいことから逃げず、本当に頑張り屋だった」。シニアの総監督の藤嶋一利さん(65)は、入団当初はランニングで後ろの方を走っていた荒井さんがトップ集団で走れるようになった―と振り返る。 小山選手も「きついランメニューでも荒井はいつも明るくて、自然と『やるか』と思えた」と話す。
高校入学前、6人で誓い合った甲子園の目標
田村選手は高校の入学式前に6人で顔を合わせた時、荒井さんが「野球部に入りたい」と言っていたことを覚えている。その場で「甲子園に行こう」と誓い合った。
情けない姿は見せたくない
「きつい練習でも思い出すと頑張れる。妥協しちゃいけないなと…」。6月下旬、長野日大高のグラウンドで練習に励んでいた松本選手が言った。脳裏に浮かんだのは「いじられキャラ」で明るかった荒井さんの姿だった。田村選手も「荒井が背中を押してくれていると思って、少しずつ前向きに取り組んできた」とかみしめた。 かつてともに白球を追った仲間は今、「荒井がいたから、野球をできることは当たり前じゃないと強く感じている」と口をそろえる。最後まで病気に立ち向かい、何度も立ち上がった荒井さんに情けない姿を見せたくはない。「自分たちが執念を出す番だ」 長野日大高は順調に長野大会を勝ち上がり、17日に4回戦を迎える。