司忍組長ら“大物ヤクザ”が横浜に大集結、射殺も起き抗争真っただ中で見せた“健在アピール”【写真多数】
9月11日、新幹線新横浜駅は、午前中から周辺を警戒する組員が行き交っていた。六代目山口組トップの司忍組長が新横浜駅に降り立つためだ。六代目山口組傘下益田組の山嵜(やまざき)昌之総裁が9月5日に亡くなり、葬儀に参列することが目的だ。司組長の神奈川来訪は2年ぶりのこと。駅構内や周辺には警察官が配置され、厳重な警備体制が敷かれていた。 【写真】斎場には大物ヤクザが勢ぞろい 午後3時半ごろ、20人ほどの組員らを従え、駅に現れた司忍組長は、礼服にピンクのネクタイ姿。82歳とは思えない軽い足取りで階段を降り、車に乗り込んだ。まさに威風堂々という印象だ。 横浜市内の斎場には、六代目山口組ナンバー2の髙山清司若頭のほか、弘道会の竹内照明会長ら、執行部のメンバーが先に到着していた。そこに5台の車列の中から姿を現した司組長は、表情も厳しく斎場に入っていった。さらに稲川会の内堀和也会長ら、他団体のトップも参列に訪れた。現地は200人近い組関係者でごった返した。 この日は益田組・山嵜総裁のお通夜。ある暴力団関係者はこう話す。 「もともと益田組は、三代目山口組・田岡一雄組長の時代に横浜に先陣を切って進出した名門の組織です。神奈川を拠点としている稲川会とは、勢力争いで揉めていましたが、初代益田組長らが稲川会と親戚関係を結び、現在に至っています。なので六代目山口組にとって益田組は功労者なのです。その組を継いだのが山嵜総裁でした。とてもまじめな人間だった。コツコツと仕事をするタイプで、益田組内部での信頼も厚かった」 “功労者”へのねぎらいの場ゆえか、斎場から出てきた司組長らの顔には笑顔が。他の関係者らと話に花を咲かせる場面もあった。 もっとも、六代目山口組・司組長が、葬儀に参列したのは別の理由もあったのではないかと、ヤクザ界に詳しいジャーナリストは分析する。 「今週宮崎県で、六代目山口組傘下の弘道会の組員が、対立する池田組の組員を射殺した事件があったばかりです。そのため、山口組はかなり緊迫していたはず。しかし、あえて司忍組長が元気な姿をアピールし、組員らと談笑したりすることで、『事件は大したことはない』と印象づけたかったのではないでしょうか。司組長、髙山若頭以下執行部が関東で勢揃いしたのも久しぶりでした。抗争の終結がまだ見えない中でも、余裕のある所を見せたかったのかもしれません」 この日は、およそ1時間滞在し帰路に就いた司組長。その表情の裏には何が隠されているのだろうか。