センバツの軌跡<和歌山東> 「歴史に新しい1ページ」 泣き笑いの出発から成長の証しへ /和歌山
八回、麻田一誠投手(3年)がセカンドへ。マウンドには田村拓翔投手(3年)が上がる。小刻みな継投が始まった――。3月19日、センバツ1回戦、和歌山東は倉敷工(岡山)と対戦。担当記者は雨模様の聖地を動き回る選手たちをアルプスから見つめていた。 米原寿秀監督は新チーム発足にあたり、「選手一人一人に役割を与えること」を重視したと以前、話していた。甲子園初出場、しかも初戦。選手たちの緊張や重圧は、大きかったことだろう。特に攻撃面では硬さが目立った。しかし、役割を自覚した選手たちは監督の起用にしっかり応えた。近畿大会出場を決めた県予選・智弁和歌山戦のような継投が象徴だった。麻田投手→田村投手→麻田投手→山田健吾選手(3年)→麻田投手。延長にかけ、1点を争う緊迫した場面で結果を出した。 ただ、継投に目が行きがちだが、他の途中出場の選手たちの活躍も見逃せない。銅屋皓元選手(3年)は初打席となる延長十回、点には結びつかなかったが、2ストライクと追い込まれてからの犠打を決めた。代走で出場した平川琥一選手(2年)は延長十一回、打席にも立ってダメ押しとなる適時打を放った。米原監督は試合後、「東高校野球部に新しい1ページを刻んだ」と選手たちをたたえていたが、新たな歴史は誰一人欠けても切り開くことのできないものだっただろう。 2010年夏に発足した硬式野球部について、特別後援会の西山義美会長(65)に、その道のりを尋ねた取材は、忘れられないひとときとなった。部発足の初の公式戦は夏の甲子園和歌山大会で、相手は智弁和歌山だった。「試合当日の朝、校長が飛んできて『野球にギブアップがない』と慌てた。試合が終わらなかったら、腹をくくって『もうこらえちゃってください』と相手に頭を下げに行くと言っていた」「互いの健闘をたたえるエール交換のやり方も知らず、相手の応援団の3人が和歌山東の生徒会長ら3人ほどを呼び出し、観客席から少し離れたところに打ち合わせに連れて行ったときには、周囲の大人たちは『ケンカでも始まるのか』と思っていた」。泣き笑いのエピソードは、紹介しきれないほどにあふれていた。 センバツ2回戦、浦和学院(埼玉)には力の差を見せつけられた。わずか2安打に抑えられ、ヒットエンドランを試みては三振、盗塁死の併殺。足を絡めた持ち味を封じられ、自分たちの野球をさせてもらえなかった。しかし、守備では四回、前に落ちそうな打球を中堅手の中川大士選手(3年)がダイビングキャッチ。八回には野別瑠生選手(3年)もファインプレーを見せた。諦めない姿勢は泣き笑いの出発から、ここ数年は届きそうで届かなかった甲子園にたどり着く軌跡――歴代の選手が思いを積み重ねてきたチームの確かな成長の証しだと感じた。 敗戦後のアルプススタンドへあいさつでは、最後まで頭を下げていた米原監督の姿があった。創部当初から監督を務め、抽選会では「携わってきた人たちの思いを持って踏み出したい」。その感慨と踏み出した一歩の続きを、これからも見ていきたい。【橋本陵汰】 ◇ センバツに出場し、共に甲子園で確かな足跡を残した和歌山東と市和歌山。担当記者が歩みを振り返る。