待望のファースト写真集『浮泳夢』が話題の相楽伊織が語る初グラビアの記憶「水着グラビアをやりたい。それも乃木坂46を卒業した理由の大きなひとつです」
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はファースト写真集『浮泳夢』が話題の相楽伊織(さがら・いおり)さんによる前編。 【写真】相楽伊織の週プレ初グラビア 相楽さんは2014年6月に乃木坂46の研究生として芸能活動を開始。2015年、乃木坂46の11thシングル「命は美しい」で初の選抜入りを果たす。2018年7月にグループを卒業し、舞台などを中心に活動するように。 初グラビアは『週刊プレイボーイ』2023年24号(5月29日発売)で披露。大反響を呼び、以降、漫画誌、週刊誌などの表紙や誌面をことごとく飾る。また同年の『グラジャパ!アワード2023』ではカムバック賞も見事に受賞した。 今回は乃木坂46メンバーして芸能活動を開始する経緯から、初グラビアに至るまでの歩みを語ってもらった。 ーーファースト写真集『浮泳夢』の発売おめでとうございます! 相楽 ありがとうございます! 私、写真集を出すのがずっと夢だったんですよ。しかも今年、芸能活動を始めてちょうど10周年。そんな節目に叶って、ものすごく嬉しいです。 ーーその『浮泳夢』のお話は後ほどお伺うとして、今回は初グラビアのお話をそれ以前の歩みとともに伺えれば。まず相楽さんは幼い頃はどんなタイプのコでした? クラスで賑やかな人気者タイプ? 相楽 いえいえ。小学校の頃はずっとミニバスに夢中で、小学校6年生の時はキャプテン。中学生の時はバレーボール。とにかくひたすらスポーツに励んでいて、決してクラスで派手なタイプではなかったです。 ーーキャプテンってことはしっかり者タイプ? 相楽 いやー仕切ってはいましたけど、小3からやっていて"暦"が長かったからそうなっただけで。いまでこそしっかりしているとかたまに言われますけど、当時はただの生意気な子供でしたよ(笑)。中学に入ってからは、仲のいい友達もそれほど多くはなかったし。 ーーそうなんですね。では芸能界を目指そうと思ったきっかけは? 相楽 小学校5年生の時かな。母と原宿に行った時、何人かにスカウトをされたんです。そこで初めて芸能界に興味を持ちました。中学に入ったくらいの頃から、母と一緒に気になるオーディションを見つけては、受けに行くようになりました。 ーーそれはアイドルとかジャンルに特化することなく? 相楽 はい。当時はこうなりたいって目標が、何かあったわけでなく、芸能界そのものに憧れていたので。で、どのオーディションも2次~3次はいくんです。でも結果的には落ちちゃう。毎回悔しい思いをしていました。そんな中で最終審査までいったのが、某大手事務所と乃木坂46一期生。中学3年生の時、乃木坂の2期生オーディションがあるというので、最後のつもりで受けました。 ーーそして結果は見事合格! 決め手になったのは? 相楽 それがまったく。歌もダンスも習っていないから下手くそだったし、「会いたかったかもしれない」が課題曲だったので覚えていったけど、自分ではちゃんとできていたかも怪しい(笑)。大人の人が何人もいて緊張していたので、よく覚えていないんです。 ーー受かった瞬間は? 相楽 それはもちろん。発表は審査後、みんなの前で名前を呼ばれるんですけど、最高に嬉しかったです。でもすぐには活動できなかったんですけどね......。 ーー高校が芸能活動NGだったんでしたっけ? 相楽 そうなんです。私立校だし、大丈夫だろうと高を括っていたらどうしてもダメで。結局1年間、普通に高校生生活を送りました。 ーー2期生が活躍するのをテレビで見るのは辛かったのでは? 相楽 本当にそう。当時はレッスンも不参加だったので、毎日、置いていかれるんじゃないかって。それこそ本当にデビューできるのかもわからなくなって不安でした。でも、オーディションの時に仲良くなった北野日奈子ちゃんとずっと連絡を取り合っていて。おかげですごく励みになりましたね。 ーー仲間の存在をそばに感じると力になりますよね。2014年6月に相楽さんは研究生として、ついに活動開始。早速、高い注目を集め、翌2015年1月のシングル「命は美しい」で初の選抜入りを果たしますが、その直前、週プレでもすぐに撮影をさせていただきました。 相楽 あー! 懐かしい! 撮りましたね。