「じいさんに殺される」高齢妻が悲鳴をあげてもヘルパーの支援を拒否するワケ【実例検証】
高齢の親が自力でやっていけると主張し、民間サービスや介護保険などの制度サービスを頑なに拒む場合、子どもは親の意向をどこまで受け入れ、親の願いにどこまで添い続ければいいのか。親の尊厳を守るとはどういうことなのか。 これは、ひとり暮らしの親が「自分の家で暮らし続けたい」「在宅で最期まで過ごしたい」と望む場合も難問だが、父親、母親の2人暮らしの場合、さらなる難問である。 そんなことを深く考えるきっかけとなった出会いがある。父親が97歳、母親が95歳になるまで自宅で暮らし続け、「長年、説得し続け」、最後は「父親を拝み倒して」、両親に「別々の施設に入所してもらった」。そう語る娘の立場の女性、PJさんとの出会いである。 PJさんは74歳。きょうだいはいない。3人の孫育て支援の他に、NPO団体の活動家として、多忙な日々の合間を縫い、両親が80代半ばを過ぎて以降の10年以上、両親宅に通い続け、その生活を支えてきた。話を聞き始めてまもなく、PJさんが発した言葉は、私にとって驚きだった。 「父は2022年に97歳で亡くなりました。母は現在95歳です。『ふたりそろって100まで生きたい』というのが希望だったんです。けど、希望といっても、それは父の希望で。母は『早く死にたいよー』と言っていました。しょっちゅう、母は『じいさんに殺される!』と言っていました」 その理由を、PJさんはこう続けた。 「母が全部、何もかもしなければならないでしょ。父が何にもしないから。『眼鏡持ってこい』『新聞持ってこい』から始まって、母がズーッと一日中、動かされるわけです。狭い家とはいえ、結局、母は自分の時間がなくなり、ウロウロ、ウロウロ。そのなかでご飯もつくらなきゃいけない。そんなんで、トイレで父に聞こえんように『ワアーッ! 私はじいさんに殺される』と、叫んでいたんです」 PJさんの母親は、耳の聞こえも悪く、2度の圧迫骨折で、何かにすがらないと立ち続けることができないほど腰が曲がり、痛みもあった。そんななかでの夫の世話と家事は、「死にたい」ほどの重労働だっただろう。 母親の負担を軽くするために、娘のPJさんが何もしてこなかったわけではない。それどころか、ひとり娘として親に対する責任感も強く、さらに地域の高齢者支援のNPO活動に携わるPJさんは、普通の人以上に福祉・介護に関する知識・情報も持っていた。 だから、両親が在宅生活をやめるまでの十数年間、母親の家事負担を軽くする手段として、介護保険の家事支援サービスをはじめ、民間の支援サービスの利用を両親に提案し続けてきた。だが、その多くが父親から拒否され、加齢とともに母親の負担が重くなっていったのだという。 PJさんが両親に提案してきた在宅継続のための支援策を挙げてみよう。 (1)両親のPJさん家族との同居 (2)配食弁当サービスの利用 (3)要介護・要支援の認定申請 (4)介護保険によるデイサービスの利用 (5)介護保険による訪問リハビリテーションの利用 (6)介護保険による入浴サービスの利用 (7)介護保険による家事援助サービスの利用 (8)医療保険による訪問診療 (1)~(8)までのうち、提案がスムーズに受け入れられたのは、在宅生活の最後の2年ほど利用した(8)の訪問診療のみ。病院の長い待ち時間が耐えられなくなったからだという。 しかし、それ以外の提案は拒否、もしくは、受け入れの抵抗感が強く、PJさんが生活を常に見守り、親が勝手にサービス利用を止めないよう、説得し続けなければならなかった。 PJさんの母親の場合、「私がいるのに何でヘルパーを入れるのか」と家事支援を拒むタイプの女性ではなく、むしろ「ヘルパーに来てほしい」と、それを望む人だった。 にもかかわらず、サービス利用に消極的なままの生活が続いていった。それはなぜだろうか? その理由を、PJさんが示した(1)~(7)の提案に対する両親の反応の中から見てみよう。 まず、(1)「娘家族宅に夫婦ともに同居」という提案に対しては、父親が自宅に住み続けることに固執し、同居を強く拒否。母親は娘の提案には「同意」しながら、拒否する夫に逆らうことができず、断念。 「父が私の家には絶対行かない、死ぬまで行かないと言う。母は行ってもいいと言ったんですが。すると『ひとりで行けばいい。わしはここにひとりでいる』と言うんです。それじゃあ、母は来れませんよねえ。どうしても」 次に、家事負担軽減策として介護保険の家事援助サービス、通所介護サービスなどにつながるための前段階である(3)要介護・要支援の認定申請という提案に対して。 ここでも、当初父親が強く拒絶し、手続きに至るまでかなりの時間を要している。ここにも父親の「人の世話になりたくない」「家事は妻がすればいい」という意識が強く関わっている。 「2人とも90歳前後まで介護保険の認定も取っていなかったんです。だから、『しんどかったら、利用した方がいいのよ。介護保険をかけてきたんだし、それで助けてもらえばいいのよ』、そう言い続けたんです。でも、人に助けてもらうのは嫌だし、母がいるからいいわと父は思う。母は父が嫌がるから受けられない。その辺を調整するのが大変でした。本当に大変!」 さらに、両親を説き伏せ、やっと要介護認定が出たとしても、サービス利用がスムーズに進むわけではない。(4)デイサービスセンターに通い、そこで入浴サービスを利用し、食事サービスも利用する、という提案に対しても、父親が強く拒否。またこの提案に対しては、母親の方も、夫の世話がさらに増えることを恐れ、強く拒否。 「デイに行けばご飯も食べられて、お風呂にも入れるからいいよと、何度も勧めたんです。でも、父は『絶対行かない』、とにかく『嫌』。母も、2人で通うとなると、自分がその支度をしなければならない。父に服を着せて、自分もデイに行こうと思うと、準備がしんどい、それより、家にいてボーっとしている方がまだ楽なんです。父の『嫌』、プラス、支度が大変なんです。だから、『おじいさんが “嫌” と言うから、行けんわぁ!』と、どんなに勧めてもダメ」 こうして、「おじいさんが “嫌” と言うから、行けんわぁ!」と、夫しだいの流れになる。 ■「ばあさんがつくったものがうまい」という殺し文句 しかし、こうしたデイサービス利用以上に強い拒否感、抵抗感が示されたのが、(7)のヘルパーによる家事援助サービスである。 「家事がだんだんできなくなる母のために『ヘルパーさんを入れさせて』と何度父に頼んでも、嫌なんです。人が来るのが嫌なんです。『わずらわしい』『うるさい』『落ち着かない』って。それに『ヘルパーがつくったものはまずい』『ばあさんがつくったものがうまい』って。母にとっては殺し文句ですよね、それは。 母がしんどいからヘルパーさんには来てもらってつくってもらう。でも、父が食べないんですよ。だから、ヘルパーさんがつくったものは母が食べて、父にはちょろっと自分がつくってやって……」 ここでの「ヘルパーがつくったものはまずい」という食の嗜好は、(2)配食弁当サービス利用を提案した際にも、「配食弁当は『絶対嫌』だと言うんです。『口に合わない』『食うものが何もない』『自分の好みがない』って」と、拒否されている。 ヘルパーの家事援助サービスを利用したとしても、外部サービス利用に対する父親の強い抵抗感、「妻が家事を担うのがあたりまえ」の役割意識、「夫の決定に妻は従うべき」とする夫優位の夫婦関係に支えられ、どんなに母親がしんどくとも、夫の食事だけは妻としてつくり続けるしかない生活が続いていく。 そんななかでの「じいさんに殺される!」という叫び声だったのだろう。PJさんは母親のこの声を聞いたとき、「在宅生活を続けるのはもう限界だろう」と両親の施設入所を本気で考え始めたのだという。 このようなPJさんの話から見えてくるのは、親が在宅生活を願い続ける場合、子どもが負わねばならない役割、責務が、かつての親子両世代が同居していた時代のそれと異なり、離れて暮らすからこその難しさを持つという事実である。 親が毎日の生活を自力で維持し続けることが難しいにもかかわらず、自宅に住み続けることに固執するケースでは、親の安全な生活を優先するという名目で、親より子どもの側の判断を優先するか。それとも「匙を投げず」に最大限、親の意向を重んじ、粘り強く限界点まで寄り添い続けるのか。 高齢者が「子どもの世話にならない」と言いながら、具体的に将来への何の覚悟も準備もないまま加齢とともに力を失い、子どもや支援者の提案に対し拒否権だけを発動する場合、子どもや支援者にはこうした重い決断が迫られるのだ。 ※ 以上、春日キスヨ氏の新刊『長寿期リスク「元気高齢者」の未来』(光文社新書)をもとに再構成しました。現在の長寿期在宅高齢者に起こっているさまざまな困難をすくい取り、それを回避する方法を考えます。