【家族の絆】「家電の操作もできなかった」実家を離れてからの親との接点は孫と病気だった~その2~
父親は母親の物の整理を拒否した
母親は大腸がんだった。幸いにも手術で切除でき、入院も2週間ほどで済んだという。その間は、結婚して子どもが2人いる姉とともに実家に戻り、母親の入院の世話に加え、父親の世話をしていた。当時過ごしていた記憶で実家の家事をしようとしたところ、すべてが変わっていて、想像の倍以上の時間を要した。 「母親の下着やタオルがどこにあるかもわかりませんでした。家電も私と姉が実家に居た頃から一新されていて、洗濯機などの使い方がわからず、電子レンジは色んな機能があるのに温めることしかできませんでした。実家に暮らしていたことが遠い過去だということ、実家はもう遠い場所なんだということを実感しましたね。それに里帰り出産ではどんなに親に甘えてしまっていたのかも痛感しました」 母親は手術から4年後に転移が見つかり、その1年後に亡くなったという。真由美さんは親の病気のこともあって、より親の今後に関する話には触れられなかったと振り返る。 「退院してから母親は食が細くなって痩せていったんです。ある程度痩せた後はその状態を維持しているという感じでした。母も父も気丈には振舞っていましたが、片方が病気をしてしまったことで、病気をする前よりも死について考えるようになったと思うんです。だから、私からその話題には触れてはいけないと思いました。子どもが親の死を覚悟していると伝えたくなかったんです」 母親の死後、父親に母親の私物には何があるのかを聞いてもほとんど知らなかった。母親の物をある程度整理したかったが、父親はそれを拒否。父親は仕事を引退するまで実家で過ごし、その後は姉家族が暮らす地域のシニア向けの分譲マンションで暮らしている。実家を手放すときに父のマンションに持っていけないものを処分することになったが、母親の私物はそのときまで残っていたという。 親の老後については一般的に子どもが30~40代の早い段階で始めるのがいいとされている。しかし、離れて暮らす親子は十分なコミュニケーションが取れていないことが多く、その中で今後の現実的な話をすることは難しい。また、その年代の子どもはまだ親の老いを受け入れにくいこともあり、親も年齢に伴う喪失感を受け入れられない時期でもあるだろう。一般的とされている年齢よりももっと早い時期という、まったくリアルさがない頃から話し合うほうが、どちらも受け入れやすいのではないだろうか。 取材・文/ふじのあやこ 情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
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