あの“20年代”の輝きが蘇る……100年前に生まれたモダンの桂離宮・朝香宮邸
モダンの桂離宮
今回あらためて見てまわって、ふと思ったのは、桂離宮との不思議な共通点である。 突飛に聞こえるかもしれないが、桂離宮も、八条宮という宮家の別荘であり、建築専門家の作品というより、文化的に造詣の深い智仁親王が直接指導し、建築と工芸と作庭の技術者が応えたものだ。そこには『源氏物語』に見る自然の絢爛と、千利休が大成した草庵茶室のシンプルな美意識が融合しているが、これは朝香宮邸におけるヨーロッパの装飾的伝統とモダニズムの融合に通じるところがある。 そしてどちらも少し前に、日本文化は西欧(南蛮)と遭遇している。桂離宮は、そういった異文化体験をした日本の、ある種モダンな作品でもあると僕は考える。(日本の伝統とモダニズムの共通点については1930年代に来日したブルーノ・タウトも指摘している) 赤坂離宮(現迎賓館)も宮内省の設計だが、これは西洋の真似と思われても仕方ない。近年京都につくられた新しい迎賓館も、日本の伝統を現代化したもので独創性が弱い。 そういった意味で、桂離宮と朝香宮邸は、不思議な共通点をもつ日本建築史の中の傑作なのだ。もうすぐ2020年であるが、朝香宮邸は決して古びていない。100年前の「あの20年代の輝き」が蘇るような気がする。
宮家の文化力
不幸なことに、朝香宮邸完成後の日本は軍国主義に向かい、時代の空気はこの瀟洒な建築にそぐわないものになっていく。また敗戦によって、宮家の地位は凋落し、これを維持するのも困難になる。建築界はまさに機能主義モダニズムに向かい、装飾を評価する空気ではない。 戦後しばらくのあいだ、首相と外相を兼務した吉田茂によって、公邸として使われた。ヨーロッパ文化に親しんだ吉田は、その価値を十分に知って外交に利用したであろう。その後、吉田は終の住処として、大磯に純和風の家(前回取り上げた)を、その分野の名人吉田五十八に依頼することになるが、これも桂離宮や朝香宮邸と無関係とはいえまい。 その後、朝香宮邸は、プリンスホテルのチェーンを有する西武鉄道に買収されたのち、東京都に売却されている。そして「文化財」として歴史的な遺産の範疇に入った。 モダン装飾の傑作は、数奇な運命を辿ったというべきか。現在は美術館となっているが、この建築自体もっと評価されていい。 天皇家(宮家も含め)の文化力は、意外なところにも発揮されているものだ。