直木賞作家・荻原浩の“鬼の涙腺”がゆるんだ「いま観るべき映画」 英国青年はナチスから子どもたちを救おうと奔走するが…
いま観るべき映画だと思う。 物語は1988年のイギリスから始まり、偏屈そうな老人ニコラス・ウィントン(アンソニー・ホプキンス)の日常が淡々と描かれる。自宅の私物を片づけられなくて、奥さんに小言を言われている、ごく平凡な日々だ。ニコラスは古びたカバンを捨てられずにいた。 【写真】この記事の写真を見る(16枚)
短期ボランティアのつもりでプラハへ
舞台は一転して、50年前、1938年にさかのぼる。ニコラスはまだ青年だ。ロンドンで株の仲買人をしていて、なに不自由なく暮らしている。 ニコラス青年は短期間のボランティアのつもりで、ナチスが侵攻しているチェコスロバキアのプラハへ行き、多くのユダヤ人の子どもたちが収容所へ送られようとしていることを知る──。 若き日のニコラスを演じているのは、ジョニー・フリン。映画にくわしくない私は知らない俳優さんだが、50年後のアンソニー・ホプキンスにちゃんと似ている。 白人だから私には同じ顔に見えるのかもしれないけれど、子役から大人役にバトンタッチした時など、「誰?」「なんでこうなる?」と往々にして違和感たっぷりな日本の映像作品に比べると、こういう点は、きちんとしているなと思う。
観るうちに、私の鬼の涙腺もゆるんでくる
本題に戻ります。 ニコラスはナチスから逃れてきた子どもたちを救うために、ある計画を思いつき、実現に向けて身を投げ打つ。
実話を元にした感動作だそうだ。私は「感動作」と聞くと、涙腺を固く閉じようとするひねくれ者なので、観始めた当初は、難民キャンプの惨状にショックを受けながらホテルで乾杯したりしているニコラスたちに(別に悪いことじゃないのだけど)、イギリス人ってなんか上から目線だよね、と斜めに見たり、もしニコラスが救おうとする子どもたちが有色人種だったら、彼の計画は英国の人々を動かすことができたのだろうか、なんて疑問が頭に浮かんだりしていた。 が、観るうちに、そうしたひねくれ根性は引っこみ、私の鬼の涙腺もしだいにゆるんでくる。ニコラス老人がカバンを捨てられない理由が明らかになっていくからだ。 物語が1988年と1938年を行き来するうち、老ニコラスが、子どもたちを救ったことを誇るどころか、救えなかった子どもが数多くいたことに苦しんでいることがわかってくる。平気で人を殺せる人間がいる(状況や組織がそうさせるのかもしれないが)一方で、どうして彼のような善人が苦しまなくちゃならないのか、腹が立ってくる。なぜこんなことがいつまでも繰り返されるのか、にも。 八十数年経ったいまも同じような状況が世界にはたくさんある。ウクライナで、ガザ地区で、大きなニュースにならないだけで、他の場所でも。