10月1日で復元65年、コンクリート造の名古屋城、文化財的価値はあるか 識者は「画期的な構造」と評価、ただ保存には”ネック”が…【企画・NAGOYA発】
現在の天守の施工は大手ゼネコンの間組(現在の安藤ハザマ)が請け負った。大天守の外観は5層ながら内部は7階建て。天守台内側の地中にケーソンと呼ばれる箱状の構造物を打ち込み、その上に土台となる基礎を組んで建てられている。石垣には荷重がかかっておらず、木造天守に立て替えた場合も石垣を傷めないように土台を組んで建設する計画だ。 ケーソンは防波堤や橋脚など港湾・海洋工事で用いられることが多いが、くいを打ち込む工法が発達するまでは陸上の工事でも多用されてきた。安藤ハザマによると、天守台の地下床から27・75メートル下には総重量1万トンを超えるケーソン基礎4基が打ち込まれ、約8000トンの建物を支えているという。
当時の最新の工法も組み込まれ、石垣に負荷がかからぬよう天守には斜めのつり柱22本で1~3階の荷重をつり上げる工夫も凝らされている。1961年には国内の優秀な建築作品を表彰する第2回BCS賞を受賞。前年の第1回には東京タワーが選ばれており、今年の第65回は野球場のエスコンフィールド北海道などが輝いている。 昭和に復興した鉄骨鉄筋コンクリート造の天守で国の登録有形文化財になった例がある。大阪城だ。1931(昭和6)年に豊臣時代の天守を参考に建設され、太平洋戦争の空襲でも焼失を免れた。 国内で最初の近代的工法による復興天守としての価値が認められ、大規模改修後の97年に有形文化財に登録された。現在も博物館として稼働中で、三浦名誉教授は「使われているコンクリートは現場での手ごねでセメントに混ぜる水も少なく、骨材に川の玉砂利を使うなど強度に優れている」とし、戦後のコンクリートミキサーなどを使った工法とは異なると捉えている。 名古屋城の現天守を取り壊すことは惜しまれることではある。それでも「耐震補強すれば、画期的な構造だった当時の姿と変わってしまい、文化財的価値を保たれないということにもなる。ただ、戦後を支えてきた功績はある。それを検証して図面や写真、映像などで後世に伝えるべきだと考える」と背に腹は代えられないもよう。 かつてはコンクリート造で再建されたことで大阪城、熊本城とともに「3大がっかり天守」とやゆされたこともあるが、戦後復興の象徴として名古屋を勇気づけてきたことは忘れてはならない。 ◇ ◇ ◇ ○…名古屋城天守の木造復元を巡って焦点になっているのがバリアフリー化だ。昇降機の設置については検討中で、現時点で石垣レベルから1階部分まで4人乗りの小型機を導入する方針。一方、障害者団体などは最上階の5階に通じるエレベーターの導入を求めている。名古屋市は2013年に木造天守の復元事業に着手すると発表したが、当初目指していた22年中の落成を断念。具体的な完成時期は最短で32年度ごろになるとの見通しが示されている。事業の総工費は約500億円を見込んでいる。
中日スポーツ