初代MR2にはもう手が届かない……。20世紀の日本のスポーツカー相場が爆上がり!!
今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第9回目に取り上げるのは市販された日本初のミドシップスポーツの初代トヨタMR2だ。 【画像ギャラリー】日本初のミドシップスポーツの初代MR2は小股が切れ上がったという表現がピッタリ!!
『ベストカーガイド』で見てひと目惚れ!!
初代MR2は私が高校3年の時の1984年6月に正式デビュー。この初代MR2と私の間には現在まで続くいろいろな因縁があるが、その発端となったのがデビュー前年の1983年に東京モーターショーで出展されたコンセプトカーのSV-3だ。 私の同級生にクルマに強烈に詳しいヤツがいた。彼とは違う中学出身で、高校で一度も同じクラスになったことはないし、部活も違っていたが、共通の友人を通して知り合った。クルマに詳しいと聞いていたが、豊富な知識に驚いた。クルマは好きだがまったく知識がない私は、バスが同じ路線だったので、登校前のバスの中でクルマについていろいろ教えてもらっていた。現在の仕事を考えると、彼はクルマに関する私の先生であり恩人だ。 彼はいろいろなクルマ雑誌を読んでいたのだが、高1の時にクルマ雑誌の『ベストカーガイド』(1985年から月2回刊となり『ベストカー』に名称変更)に掲載されていたSV-3を見せてくれた。「ぶちかっちょえぇじゃろ?」(広島弁で物凄くカッコいいでしょう?の意味)の問いかけに激しく賛同し、「ランチアストラトスみたいじゃのぉ!!」と返した。今思えば赤面モノだが、ギュッと凝縮したショートボディがそう思わせたのだと思う。 同時に「カウンタックやビービー(フェラーリ)と同じミドシップ」と友人に教えられ、私の中ではSV-3はカッコよくて凄いクルマというイメージが固まった。東京モーターショーの存在もこのクルマをきっかけに知った。『ベストカーガイド』には来春(1984年)デビューと書かれていて、ワクワクした。