■相川七瀬「2016年の伊勢神宮」圧倒的な体験でシンガーとして“最も大きな転機”「“私はこれからもこうやって生きていくんだ”という思いに満たされた」
1995年に『夢見る少女じゃいられない』で鮮烈なデビューを果たし、ボーカリストとして走り続けている相川七瀬。その一方で、3人の子どもたちを育てながら、45歳で國學院大學神道文化学部に入学。現在は同大学院生として民俗学の研究にいそしんでいる。パワフルに人生を突っ走る、相川七瀬のTHE CHANGEとは──。【第3回/全4回】 ■【画像】2025年にデビュー30周年を迎える相川七瀬。人生の転機を語る──THE CHANGEオリジナル動画 2025年にデビュー30周年を迎える相川七瀬には、たくさんの転機があった。 中学3年生のときに受けたオーディションで、不合格。そのときに審査員を務めていた織田哲郎との再会と、デビュー曲『夢見る少女じゃいられない』の大ヒット……。 「どの瞬間も、ひとつでも欠けていたら、いまの私はいないと思いますが、シンガーとして最も大きな転機は、’16年の伊勢神宮での楽曲奉納と歌唱奉納でした」 三重県伊勢市にある伊勢神宮には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭る皇大神宮(内宮)と、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る豊受神宮(外宮)があり、相川は両方の宮で『ことのは』『僕らのEndless Dream』『恋心』『夢見る少女じゃいられない』の4曲を奉納した。 「歌いながら、すごく不思議な解放感がありました。何と言ったらいいのか……身体も心もどんどん解放されて、とても自然に声が流れ出ていく感じ……私ってこんなに軽やかに歌えたんだっけ? と、自分で自分に驚いたことを、はっきりと覚えています」
“伊勢神宮の式年遷宮”を見据えて、これからも歩き続ける
それまでの相川七瀬は、自らの思いをパワフルにぶつけるシンガーだった。だからこその迫力がある一方で、喉を痛めることが多く、自分をコントロールすることが難しいと感じていたという。 「お客さんの方に向かないで、神様にだけに向かって歌う──。それは、圧倒的な体験でした。それまで積み重ねてきたものがきれいに重なって、“私はこれからもこうやって生きていくんだ”という思いに満たされました」 歌うことにも、生きることにも迷いがなくなった。 この出来事は、“赤米”の活動を本格的にスタートし、大学受験を目指して高卒認定試験に向けての勉強を始めた時期と重なる。 「音楽面では、’11年の東日本大震災のときに作った『今事記』というアルバムがあったから、伊勢神宮奉納全国花火大会に書き下ろした『僕らのEndless Dream』と『太陽と月の結び』につながり、昨年リリースしたアルバム『中今』が生まれ……と、大きな流れがあるわけなんですけど、その中心に、神宮でのあの奉納があると思っています」 相川七瀬にとってロックは“幹線道路”。そして、一連の精神的な楽曲は“もうひとつの道”なのだという。 このふたつの道がひとつになるときは、やってくるのだろうか? 「伊勢神宮には、20年ごとに社殿と神宝をすべて新しくして、大御神に新宮へお遷りいただく、式年遷宮という儀式行事があるんですね。次の第63回は’33年で、私は58歳。おそらく、ここで私自身も新たなステージに入り、60歳になったときに、“幹線道路”と“もうひとつの道”の音楽が交わってくるのではないかと考えています」 相川七瀬(あいかわ ななせ) 1975年2月16日生まれ。大阪府出身。1995年に、織田哲郎プロデュースによる『夢見る少女じゃいられない』でデビューし、大ヒット。『BREAK OUT』『恋心』『トラブルメイカー』とヒット曲を次々と世に送り出し、現在までのCDトータルセールスは1200万枚を超える。’20年に國學院大學神道文化学部を受験し合格。現在は同大学院に在学。’25年にデビュー30周年を迎えるにあたり、’24年11月6日にミニアルバム『SPARKLE』をリリース。 工藤菊香
工藤菊香
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