ニーチェの考えは覆された…人間が「約束する能力」を手に入れたきっかけはまさかの「懲罰」だった!?
覆されたニーチェの考え
この「心の中で高まった圧力はいつか多かれ少なかれ爆発する」という考え方は、間違いであることが証明されている。それでも、ニーチェが問題の存在を認識していた事実に変わりはない。 道徳の進化において、罰はどんな役割を果たしてきたのだろうか。当時はどんな働きを担っていたのか。今の役目は?それとも、懲罰は進化における「二日酔い」みたいなもので、現代社会には無用の、克服されなければならない過去の遺物なのだろうか?「約束することが許される動物を育てること」が、人間を創造するときに自然が自らに求めた課題だ。これほどまでに従順で、規律的で、先のことを考え、順応性が高い動物は、いつ生まれたのか?何をきっかけに、どう生まれた?そして何より、約束をするにはどんな能力が必要なのだろうか? 約束をするとは、ほかの人に対して、何らかの義務を負うということだ。ある人物が、特定の時間(T)に特定の行動(X)をとると宣言するとき、その人物は相手に対して、宣言の内容が行われると期待していいと伝えたことになる。そのためにはまず、未来が存在することを理解しなければならない。しかし何よりも、Xができない状況に陥らないように自分をコントロールでき、そしてTが来たときには、そのときの気分がどうであれ、約束を実行できると、自分を信頼していなければならない。 したがって、約束が「許される」のは、必要な自制心を有していることを保証できる者だけである。友人に、月曜の朝に家まで迎えに行って、病院へ連れて行ってあげると約束するということは、日曜日に、月曜日の朝に起きられなくなるほど夜更かしはしないと心に誓うことを意味している。加えて、月曜の朝に迎えに行く気になれなくても、それでも必ずやって来ると、相手に合図したことになる。遠い未来の計画を立てる能力は、どれぐらい特別なのだろう?本当に人間だけの特権なのか?
「懲罰」がもたらした能力
ニーチェの考えでは、約束ができる―それどころか「許される」―ことは、人間タイプの自制心、先見性、規律、協調能力をもつ存在が発生するための鍵だった。 そして最近になって、懲罰がその能力の獲得のきっかけとなり、人類のモラルの歴史で決定的な役割を担ったことがわかった。もちろん、その発展はニーチェの想像とはまったく異なっていた。人類に自制心と先見性が宿るきっかけとなったのは攻撃衝動の内向化ではなく、衝動性や攻撃性を排斥する進化選択が行われたからだ。そのおかげで、私たちは約束できるようになった。 『「乳首」を「焼いたペンチ」で挟み、そこに「溶かした鉛」を注ぎ込む…強力な懲罰本能を持つ人間の“残虐行為の歴史”』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭
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