〈伝説の拡散プリ画像〉中卒、少年院…波乱万丈の末、経営者になっていた「チャリで来た。」の少年。「名前や住所がさらされリンチ事件の犯人にされ…」誹謗中傷の的となった当時を振り返る
過去には少年院に入った経験も
軽い気持ちで撮ったプリ画像が、瞬く間にネット上で拡散されてしまったという熊田さんと杉船さん。本人たちはそこまで気にせず日常を過ごしていたというが、杉船さんは「チャリで来た。」以降、チャリどころかバイクに乗り始め、破天荒な日々を送ったという。 –––大変な中学生活を送った2人ですが、中学卒業以降はどのように過ごされたんですか? 熊田 俺は(杉船)孝太と一緒に横浜の悪い奴らが行く通信制高校の説明会に行ったけど、結局その高校には行かずに、中学卒業後は調理師の専門学校へ進学しました。 杉船 自分はその通信制高校に入学したけど、3ヶ月くらいでやめました。その後、何もせずフラフラとバイクに乗ったり、喧嘩して傷害罪で鑑別所に3回行ったり、最終的には強盗罪で1年くらい少年院に入っていました。 –––ワルになってしまったんですね。その間も2人は仲良くされていたのでしょうか。 熊田 俺が専門学校に行ってからは、忙しくて、いったん離れていましたね。 杉船 そうだね。自分は別の悪い奴らと付き合うようになっちゃって。 –––杉船さんは、何歳まで悪いことをしていたのでしょうか。 杉船 お恥ずかしい話、21歳ごろまでですね……。 熊田 俺が専門を卒業して横浜の野毛にある店で働いているとき、横浜のサークルメンバーと一緒に渋谷で遊んだりしていたんですよ。その遊びに孝太のことも誘ったんですけど……。 杉船 自分は断りました。「なんで東京なんかで遊んじゃってんの」って感じで、意固地になっちゃって(笑)。 –––再び顔を合わせるようになったのはいつごろから? 杉船 自分は21歳ごろに周りがどんどん落ち着いていき、真面目に仕事をしている姿を見て、「俺、何しているんだろ」って気づき、足場工事の会社で働くようになって。そこで3年働いたあとに独立し、今は足場会社を経営しています。また会うようになったのは、ここ2~3年だよね。 熊田 そうだね。会って飲んだりするときは、仕事の話なんて一切しないけどね。