父と二人で実家に暮らし淡々と漫画を描く32歳の「ナツコ」…益田ミリがみせる“普通”にホッとする理由(レビュー)
父と二人で実家に暮らす32歳のナツコは、社会の不平等にモヤモヤし、誰かの些細な一言に考えをめぐらせながら、淡々と漫画を描き続ける。その日常をイラストレーターの益田ミリさんが描いた漫画『ツユクサナツコの一生』(新潮社)が、第28回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。 【第1話から読む】『すーちゃん』などを手掛けるイラストレーター・益田ミリの漫画『ツユクサナツコの一生』 “漫画の神様の賞”を受賞した本作は、益田ミリさん史上最長編となる。自身の境遇に嘆きすぎず開き直りもせず、登場人物たちは淡々と日々を送る。その何気ないセリフにはっとさせられ、予期せぬ展開に心を揺さぶられる作品だ。 そんなナツコたちの「普通」の反応に、作家の津村記久子さんは「ほっとした」という。『ポトスライムの舟』や『サキの忘れ物』『水車小屋のネネ』などの著作で日常では見過ごされがちな機微を掬い上げる津村さんが、『ツユクサナツコの一生』に抱いた思いとは――。 (※この記事は「波」2023年7月号をもとに再構成したものです)
津村記久子・評「新しい実感のその向こう」
社会の安定は脆く、平和は失われる時は一瞬で、一度失われたら取り戻せるか取り戻せないかすら危ういものだ、ということを思い知らされた二〇二〇年からの三年間だったと思う。ずっと何か、人間の好き勝手な消費に倦んだもの、これまでの世界観が通用しなくなったものの断末魔の声を聞いているような気がする。それらには自分も部分的に加担している。なんでそんなわけのわからないものの後始末を、この世に生きる普通の誰かが犠牲になってやらなければならないのか、という怒りがずっとある。 世界は本当は平和なんかではなかった。『ツユクサナツコの一生』は、それを思い知った後でも日常を生きていく自分たちの実感が描かれた作品だと思う。決して深刻ぶることはなく、他人の目を意識して感情を高ぶらせることもなく、わたしたちが本当に感じることが、適切な感情のレベルで描かれている。 お母さんが亡くなり、姉も家庭ができたので、お父さんと二人暮らしのナツコが、お父さんのためにワクチンの予約を取ろうとする。けれども、スマホと固定電話から二時間かけてもつながらず、ナツコは「今日で再ダイヤルのボタン壊れるわマジで!!」と怒る場面は笑ってしまう。そうだそうだ、こんなだったのだ。ワクチンを打つことから何かを学んだわけでも、ましてや楽しかったわけでもないけれども、集団接種がいいのかとかクリニックがいいのかとか、この曜日や時間帯がいいのにどうしても空きがないとか、無料のPCR検査はほんのちょっとでも体調が悪い様子を見せたら追い返されるから、ちょっとした咳でも出さないように我慢してすごく緊張したとか、そんな些細なことで一喜一憂していた。 嘆きすぎないし開き直りもしない「普通」の反応を、ナツコたちが共有してくれることにほっとしたのだった。くそみたいな日常を押し付けられて怒ったり悲しんだりして疲れている時に「自分もこんなんよ」と言ってもらって気持ちが軽くなったような気がする。この数年、感染拡大に関して、嘆きも怒りも諦めも山のように聞いた。でも自分が必要としていたのは、ナツコとお父さんのように「この日常が来てしまった」ことを淡々と乗り越える誰かの新しい実感だったのではないか。 同じ職場で同じようにアルバイトをしていた女の子がやめていく時に、ナツコが車道越しに「わたしーっ マスクとったらこんな顔やからーっ」と呼びかける場面も印象的だ。これも、ある場所でのアルバイト期間がすっぽり収まってしまうぐらいに長い感染拡大の時間の中でこそ起こることだろう。こういうことがあったからコロナだってあってよかったよねみたいな屁みたいなことを言いたいんじゃなくて、あんなバカみたいな状況でも交換される個人の正直な想いはあって、そのこと自体には価値があるのだと言いたい。 ナツコはインスタグラムにマンガを投稿している。ナツコの思ったこと、経験したことと、マンガの登場人物が立ち会う状況や発言などがリンクしていることがとても実験的で楽しい。作中でナツコは、出版社の編集者にウェブでマンガを描かないかと打診され、「動物が主人公でほっこりする漫画」をリクエストされるのだが、おじさんと猫が入れ替わる〈パロの1日〉も、猫が人間ならぬニャンゲンになる〈吾輩は……〉もすごくおもしろい。特に後者の〈吾輩は……〉のニャンゲンが、はからずも現金を手にして「部屋を手に入れ ヨギボーも手に入れ」、週休3日の会社に入ってソロキャンプをしたりという、「今の人間」の欲求を体現してしまうシュールさには笑ってしまった。ナツコの作品を通して、自分が知らなかったミリさんの作風を見せてもらえたような気がして、驚いたりもした。 そしてそのニャンゲンは、人間ではないので寿命が短かったりもする。母親の死、感染拡大による死、ウクライナでの死と、本書が描く日常の実感の中には、多数の死が含まれている。本当は平和なんかではなかった世界が、どれだけの人間の、どのような人間の人生を奪ったかということと、本書は厳粛に向き合う。本書が描くいくつかの死は、感染拡大に関連すると明言はされないのだが、ウイルスも戦火もおさまらない中で、単なる数になってゆく「死」が、いったいどういう中身を持っていたのかということを象徴的に描き出すことに成功している。 わたしたちが何を失ったのか、何を失っているのか。本書はそのことを、抽象的な説明や感情の暴走の描写に頼らず、読者に体感させる。一方で、ナツコの分身と言えるマンガの中の登場人物である春子の「自分が好きや思うことは、一生、死ぬまで自分だけのもんや」というモノローグは力強い。 この三年の世界の動きに疲弊している人は、ナツコに出会ってみて欲しい。誰にも説明できない、でも確実に自分が失ってきた何かの存在を、ナツコと作者のミリさんだけは理解してくれるときっと思えるだろう。 [レビュアー]津村記久子(小説家) 1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』など。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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