野茂英雄は「もう日本に帰れない」「危険な賭けだ」メジャー挑戦表明に日本球界から悲観論が噴出…ドジャース・野茂フィーバー前史
「戻るとしたら近鉄だが…」悲観論の日本球界
当時の球界の“野茂への見方”は、こうした悲観論が主流だった。 「任意引退」の解釈を巡るルールの盲点、日米間の解釈の違いを突き、野茂がメジャー挑戦をごり押し、強行突破したかのように映っていた。だからメジャーに行けなかったら、けんか別れの感が強い近鉄に、果たして野茂は戻ることができるのかという、それこそ“失敗前提”のネガティブな捉え方をする向きが強かったのだ。 また当時は「代理人制度」が容認されておらず、代理人を名乗ったところで、ライセンスや必要な資格は未整備だった。ゆえに団野村の存在自体、言葉が悪いのは百も承知だが“胡散臭い”とさえ見られていた。
野茂、無謀な挑戦 自ら退路を断つ形に
そうした論調に乗って、金井の説明の言葉を借り、野茂への批判と将来への悲観論という文脈に当てはめていくと、新聞紙上では連日のようにこんな見出しが躍ることになった。 「野茂はわがまま」 「代理人は動けず、近鉄もUターン許さず あぁ八方ふさがり」 「野茂、無謀な挑戦 自ら退路『日本復帰』断つ形に…」 さらにはシアトル・マリナーズが、メジャー表明前の野茂に接触していたのではというタンパリング疑惑も浮上した。1994年の年末、マリナーズのトレーナーと野茂が偶然、一緒になったという事実はあったというが「疑えばキリがない。それでも、状況証拠がいろいろあったとしても、契約の話はしていないと言われればそれまで」と金井が一連の経緯を説明してくれたのは1月18日のこと。また、1月12日にはマリナーズから野茂の身分照会があり「1月9日付で任意引退選手となり、近鉄球団は同投手と大リーグ28球団との交渉を許可しました」と回答したことも金井は同日に明らかにしている。
そして行われた2人の会見
事態が不透明な中で、野茂と団野村は1月18日にそろって東京都内で会見を行った。 <つづく>
(「近鉄を過ぎ去ったトルネード」喜瀬雅則 = 文)
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