朝ドラ『虎に翼』男爵令嬢・桜川涼子が志半ばで婚約した事情 徹底的な男尊女卑を定めた「華族令」とは?
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第6週「女の一念、岩をも通す」は、主人公・猪爪寅子(演:伊藤沙莉)らの高等試験リベンジ直前、仲間たちが志半ばで受験を断念する切ない場面が多い。崔香淑(さいこうしゅく/演:ハ・ヨンス)は日中戦争開戦を背景に国へ帰る決意をし、男爵令嬢・桜川涼子(演:桜井ユキ)は家を守るために結婚の道を選んだ。今回は涼子が結婚を急がざるを得なかった理由を、「華族令」から紐解いていく。 ■「華族」とはどういう制度だったか まず華族制度について簡単におさらいしておこう。華族とは明治2年(1869)から昭和22年(1947)まで存在していた日本における貴族階級のことを言う。版籍奉還と並行して、従来の身分制度の公卿・諸侯の称号は廃止となり「華族」と称されるようになった。その後明治17年(1884)の華族令によって、「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の5つの爵位が設けられ、華族内で等級分けされた。 それ以外にも、分家や出家した皇族の還俗など様々な理由によって華族になる者、爵位を振り分けられる者がいた。また、勲功によって爵位を得ていく「勲功華族」も増加した。ちなみに、朝ドラ『虎に翼』で寅子の同級生となる桜川涼子は、「男爵」の位を持つ家の令嬢である。 当時華族は現代でいうインフルエンサーやファッションリーダー、芸能人のように人々から羨望の眼差しで見られており、メディアもその動向を盛んに報じていた。一方で、昭和恐慌などで苦境にあえぐ国民による、一部の特権階級への不満があったのもまた事実だ。 ■徹底して女性を否定した「華族令」の残酷さ 明治17年(1884)に伊藤博文らを中心として制定された華族令第三條において「爵ハ男子嫡長ノ順序ニ依リ之ヲ襲カシム女子ハ爵ヲ襲クコトヲ得ス」とあり、続いて「但現在女戶主ノ華族ハ將來相續ノ男子ヲ定ムルトキニ於テ親戚中同族ノ者ノ連署ヲ以テ宮內卿ヲ經由シ授爵ヲ請願スヘシ」と定められていた。つまり、女性戸主(家長)は爵位を継ぐことはできず(家督を継いだ場合に華族の身分は認められても叙爵はされず)、後に家督を継ぐ男子を立てた場合のみ襲爵が許されたのである。 しかし、明治40年(1907)に華族令が改定され皇室令第2号として出されると、今度は女性戸主そのものが否定された。女性戸主をたてること自体はできたが、その場合爵位がもらえないだけでなく華族という地位そのものを返上しなければならなかった。 当時改正の理由として、主に以下のようなことが挙げられた。男尊女卑甚だしい理由だが、当時はこれが社会通念だったのである。 ・女性戸主では「皇室の藩屏(皇室の近臣として民の模範となる存在)」の役割を果たせない ・女性戸主を認めることは男系による皇位継承の本義に則る根本的観念に相反する ・女性戸主を認めると「爵位なき華族」の存在を容認し続けることになる 桜川涼子の母・寿子(演:筒井真理子)もまた、桜川男爵家に生まれ、婿をとっている。涼子の父・桜川侑次郎男爵(演:中村育二)は、家で発言権がなく、これまでも勉学に励む涼子を庇おうとして妻にぴしゃりと撥ね付けられる様子が描かれていた。一方で「共亜事件」では、娘の友人である寅子の父の無実を証明する有力な証拠のひとつとして若島大臣邸の訪問記録を入手するなど、娘に対して協力的な姿勢をみせていた。 家庭に安らぎを見いだせないまま、涼子に「お前も好きにしなさい。どこで生きてもいい。もう縛られなくていいんだ」と言い残して芸者と駆け落ちした彼もまた、華族制度の被害者の1人と言えるのかもしれない。そして、父から継いだ家を守りたいと願いながら、女の身では婿をとる以外どうしようもなかった寿子が酒に溺れていった背景も切ない。 父の出奔で、桜川男爵家を存続させるためには涼子が婿をとるしかなくなった。有馬男爵家の子息と婚約した涼子のことを、「美しきオールドミス」などと揶揄する記事の一文にも、当時の男尊女卑の社会通念が如実に表れている。 <参考> ■NHKドラマ・ガイド『虎に翼』(NHK出版) ■『「華族」の知られざる明治/大正/昭和史』(ダイアプレス
歴史人編集部