掛布が語る 阪神「31」の後継者は?
私は現役時代に背番号「31」をつけていた。現在は、空き番になっている。私の後に1991年のドラフト1位だった萩原誠がつけ、萩原が阪神を去った後、2年間、空き番となっていたが、移籍してきた広澤克実が3年間継いだ。彼が引退してからは、濱中おさむが2年間、2013年オフまでは退団した林威助がつけていた。
私以降の「31」は、故障やスランプに陥ったりして、なかなか結果を残せなかったことから、ファンの間では「掛布の呪い」と言われているらしいが、もちろん、私からの呪いなど何もなく(笑)、そういうジンクスは嬉しいものではない。 当時の新聞報道でしか知らないが、ドラフト1位の萩原誠との交渉の席で、球団の人間が、「掛布があなたにこの背番号を付けてくれって言っている」と伝えたらしいが、実際は、私へ事前に打診などなく、「付けて欲しい」とも言っていない(笑)。 背番号というものは、ユニホームを脱いだ時点で、永久欠番にならない限り、それは選手の持ち物でもなく球団の所有物。私の許可など必要ないだろう。長くつけていた選手のイメージが、どうしても強いから、逆に新しく背負う選手への負担になるかもしれないが、私は、当時、新聞社からの取材に対して、「31番の後継者が決まったならば、私も、そのことを心から喜んでいる」とコメントを出したことを覚えている。 背番号「31」への思い入れはある。 野球選手とは不思議な人種で、引退した後でも、どうしても数字、自分がつけていた「31」というものが気になって仕方がない。そもそも野球という競技が、打席、打率、打点、本塁打数など、すべてに数字で成り立っているから、そういう思考になるのも当然なのだろうか。「31」という数字は、3の1とも読める。3打数1安打ならば、打率.333である。私は生涯、その「3の1」を目標していた。また、そこにも好きな3という数字が並ぶ。 ドラフト6位(実質ドラフト外のテスト)で阪神に入団させてもらえることになった1974年に球団から提示された背番号が「31」だった。私の前に付けていた8代目の「31」は、ウィリー・カークランドという人気選手。褄楊枝をくわえて、ぶんぶんとふり回すスラッガーで、「ドラフト外の僕にこんないい番号をくれるんだ」と感激したものだ。