金髪にロン毛!ホストから “漁師”へ…中学時代は “不登校” 型にはまらない “若き船頭” 富山・氷見市
宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「獲りきれる量ではない。終わりが見えない量。これが毎日続くとちょっと大変ですね。不漁よりはいいんですけど…」 ■風貌とは裏腹の気配り 夜の街で学んだのは… 宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「なんかあったら電話してもらって」「ありがとうございます」 この細やかな気配りのできるルーツはこんなところに…。 宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「宣材写真なんですけど、これとかですかね」 記者:「なんという名前で?」 宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「普通に本名使っていました。これあとから送るので別画面で使ってください」 21歳のときホストクラブで働くのにあわせて金髪に染めました。 中学は不登校、高校は中退。 初めての煌びやかな夜の世界で学んだのは人の心をつかむ気づかいとやさしさでした。 宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「人間関係は広がっていくので、結局、今の自分の立場、船長となると人を統率しないとダメ」 その後も仕事を転々として22歳のとき再び故郷の海に戻ってきました。 ■地元の水産業に活気を…任されたのは そして、高齢化や漁獲量の減少など深刻な問題が山積する中、所属している組合から託されたのがギンザケの養殖です。 「養殖ギンザケ」は国内サーモン人気の高まりを受けて需要が高く、近年、高値が付くことから新たな試みとして3年前に組合がはじめました。 その生育責任者に抜擢され、早朝の定置網漁が終わってから毎日欠かさず、漁港から1キロ離れたいけすに足を運び自らの手でエサをあげています。 宇波漁港 漁師 曽場慎太郎さん:「給餌機がついているのですけど、(エサを)食べれる魚と食べれない魚が出てきちゃうと魚もかわいそうだなと思って」 石川県境にある宇波漁港。25年ほど前にはブリなどで年間1億近くの水揚げを誇りましたが、高齢化による担い手不足などを背景に漁獲量は年々減り続け、去年はピーク時の4割ほどに留まっています。宇波浦漁協組合の新たな挑戦として始まったギンザケの養殖。