“伝説のミューズ”、小林麻美がジェントルマンを語る。Vol1. 坂東玉三郎と父
伝説のミューズ、小林麻美が“ジェントルマン”について考える新連載がスタート。Vol.1は、過去を振り返りつつ、彼女が思う“ジェントルマン像”と最近出会ったジェントルマンについて語る。 【写真を見る】現在の小林麻美さん。サンローランの私服がカッコいい!
“ドキドキがしばらく止まらないんですよ”
「女が女に憧れるロールモデル」 小林麻美を松任谷由実はこう称した。こんな語られ方をされた女性は、おそらく彼女が初めてといってもいいかもしれない。1970年代、アイドルはyoasobiの楽曲のごとく、〈無敵の笑顔で荒らすメディア〉として世間を沸騰させていた。その中にあって、物憂げな瞳とアンニュイな佇まいを装う小林麻美は唯一無二のミューズであった。 PARCOや資生堂「マイ・ピュア・レディ」を代表する数々のセンセーショナルなCM、松田優作との共演による映画『野獣死すべし』、松任谷由実訳詩による「雨音はショパンの調べ」のヒットなど、女優、歌手、ファッションモデルとしての圧倒的な存在感。またモードとサブカルチャーを自由に行き来できるファッション・アイコンとして、洗練されたポジションを得ていた。しかし時代を担っていたミューズは結婚・出産を機に忽然と表舞台から消える。まるでまるでとびきりの香水のように、香りの記憶だけを残して。そう、消え方すら上質の香水のようだった。 長い沈黙を経て、ほのかにあの香りがふたたび立ち上がることになる。時代を駆け抜けたエレガントな伝説のミューズは静かに熱く、彼女の中にいるジェントルマンについて語り始めた。
「当時、アンニュイなイメージとして見られることに違和感はなかったです。だって本当に暗かったので(笑)。『私は明日死んじゃうかな』みたいなことをいつも考えていました。ですからイメージの呪縛に悩んだこともなかったです。お酒を飲んで、タバコも吸って、中島みゆきを泣きながら聴いていました。ユーミンじゃなくて、中島みゆき。隠と陽でいえば、隠。ですから。男の人にも陰の部分に惹かれるのかもしれません。隠の部分が多いと、陽がブーストされるのかも……。 ジェントルマンですか? 難しいな。いろいろな要素がありますよね。先日、エレベーターに男の人が乗ってきたので、『こんにちは』と挨拶して、ふと顔を見た瞬間、はっと吸い込まれてしまったのです。なんと玉三郎さんでした。舞い上がった私は思わず、『いつも見ています。私、ずっとファンなんです』と口走っちゃった。恥ずかしい。そんな自分の対応にもびっくりして、『申し訳ありません。こんなところで本当に失礼いたしました』と言って、逃げるようにエレベーターを降りたら、駐車場のところでまた遭遇して、今度は玉三郎さんが『今日は寒いですね』と声をかけてくださったので、『はい!』って、お行儀のいい女の子みたいに答えちゃった(笑)。その後も、ドキドキがしばらく止まらないんですよ。そんなことは初めての経験です。玉三郎さんはもちろんお化粧もしていないし、普通の格好でしたが圧倒するオーラ、それはそれはすごかったですね。劇場で見るならまだしも、エレベーターですよ。たぶん玉三郎さんは気を抜いていらっしゃったと思うのですが、それでもあのオーラですもの。透明感あふれるオーラというのかしら。透明感がジェントルマンとしては大事だと思います。 とはいえ、私の場合はちょっと危険を感じるような魅力も大切。クリーンなだけでなくて、清濁合わせ飲むというか、善も悪もどっちもあるのだけど、それを見透かされないような透明感。白鳥は颯爽としているようで、水面下では足をバタバタしているようなさり気なさは欲しいです。以前、私の『PRIVE』というフォトエッセイに沢木耕太郎さんが「純白の濁り」というあとがきで、〈いろいろあっただろうけど、すべてが濾過されていく体質なんだろう〉、みたいなことを書いてくださって、とてもうれしかったのを覚えています。いろいろなことを濾過した上での透明感、私はそういう人に会いたいし、そういう男の人がジェントルマンなんだと思います。 のめり込む男の人といえば、私の場合、いつも年上の人でした。ファザコンだったのかな。そういう考えると、父が理想像だったのかもしれません。いつもガールフレンドがいて、ほとんど家にいませんでした。ひどい人ですね。別居している埼玉の父の家に遊びにいくと、いつもガールフレンドがいたのですが、母は美人だったからガールフレンドと比べると、どうしてこの人がいいのだろうと思っていました。めちゃくちゃ不良だったけど、背が高くてカッコよかったな。いつもスカG(スライラインGT)やバイクを飛ばしている一方で、本を読むのも大好きで、家には本があふれていて〈東風吹かば匂ひおこせよ梅の花〉なんて、さりげなく菅原道真の辞世の句を口にしたりする(笑)。私は子供でよく意味がわからなかったけど、ふとした瞬間に漂う知性もまたジェントルですね。 父は59歳で亡くなったのですが、私と母で『パパもきっと昔のガールフレンドたちに会いたいはずだから来てもらえたらいいね』ということになり、連絡をすると5~6人のガールフレンドが葬儀に来てくれました。中には赤ちゃんを抱っこしている人とか、いろいろな女の人が来てくれて、娘の私としては『パパよかったね。好きだった人たちがたくさん来てくれたよ』と、思ったのを覚えています。母ですか? 母は母でその辺は達観していたのだと思います。それにしても元カノたちが葬儀に来てくれるなんて父は幸せでした。愛されていたんでしょうね。いろいろあったけど、楽しかったねって思わせるチャーミングな感じ、男の人としてはたまらないです。でも、今の時代ではどうなんでしょう。世間も昔は寛大でしたからね(笑)」
【プロフィール】小林麻美(こばやしあさみ)
1953年生まれ、東京都出身。1972年『初恋のメロディー』で歌手デビュー後、資生堂、パルコなどのCMが話題に。1984年には松任谷由実がプロデュースした『雨音はショパンの調べ』が大ヒット。1991年、妊娠、結婚を機に引退。25年の時を経て、2016年ファッション誌『クウネル』(マガジンハウス)の表紙で復帰。 文・古谷昭弘 写真・藤田一浩 ヘア・松浦美穂(TWIGGY.) メイク・COCO 編集・稲垣邦康(GQ) 撮影協力・日本服飾文化振興財団