<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>2001年春優勝・小林一也さん/中 プレーに意図求め /茨城
◇「考えない選手要らない」 「木内監督はいつも理詰めだった」。小林はそう振り返る。練習中や試合中、選手を呼んでは「何でそうした?」とプレーの意図を問うた。答えられないようなら「何も考えてねえヤツは要らねえ」と容赦なくメンバーから外した。 だから選手らは試合の流れを見極めた。サインが出れば、ただその指示に従うのではなく、なぜそのプレーが求められているのか、成功させるためにはどうすればいいかを考えた。 ◇ センバツの3回戦、対戦相手の金沢(石川)の先発は、後にプロ野球・阪神に進む好左腕・中林だった。 互いに無得点のまま迎えた六回の攻撃、先頭の大崎が一塁手と二塁手の間に転がすセーフティーバント。中林のベースカバーが遅れ(記録は一塁手の悪送球)、無死二塁の先制機を作った。 続いて小林が打席に立った。木内監督からは再びバントのサイン。初球は三塁線際に転がしたもののファウル。ここで小林はある異変に気づいた。 前日のミーティングで、中林は投球後に三塁側へ体勢が流れる癖があることを確認していた。大崎のセーフティーバントは、その癖を突いたものだった。しかし、小林への初球、中林は三塁側に倒れ込まなかった。大崎のセーフティーバントをきっかけに、体勢が流れないよう修正したのだろう。 だがこのケースでは、投手は三塁側前方へダッシュするのがバント守備のセオリーだ。小林は気楽になった。「投手が三塁側に来ないなら、際どく三塁線際を狙う必要はない。次は、もっと投手寄りに転がせばいい」 2球目をプッシュ気味に転がすと、打球は広くあいた投手と三塁手の間をすり抜け、無人のグラウンドを転々。あわてて遊撃手がカバーに入ったが、そのすきに小林はがら空きとなった二塁を陥れた。珍しい「バント二塁打」に動揺した中林を一気に攻め立て、この回4点を挙げて試合を決定づけた。 小林は「木内監督からは、選手が自ら考えることが求められた。そうした指導は今の時代にこそ大事なことだと思う」と話す。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第73回センバツ> ▽3回戦 常総学院 000004000=4 000001000=1 金沢