川村元気氏、3年ぶりの小説『私の馬』インタビュー「僕が小説を書くのは今の自分が抱えている不安や恐怖に対する処方箋がほしいから」
優子は元競走馬だった「彼」との、言葉を必要としない関係に魅了される。しかし、今のままでは、他の客にも乗られてしまう。馬主となるには450万円の他に、月々20万円の預託料(管理費用)がかかる。労働組合の経理の仕事を一手に任されていた優子は、金庫に収められた札束を盗み出し、支払いに充ててしまう。〈ストラーダ。/初めて、彼を名前で呼んだ。/応えるように黒い馬がいななく。気に入った、と私に伝えるように〉。その後も、何度も何度も罪を重ねる──。 本書は全152ページと、川村作品としては、かつてなく薄い。初出が純文学雑誌であったため、小説の長さは原稿用紙220枚と短くなった。 「今は『ルックバック』(今年6月に公開された劇場アニメ)のような60分の映画が当たっている時代。圧倒的なスピード感で、一息で駆け抜けるように読める作品が時代の気分だなと思いました」 純文学を意識したからこそ、取り入れることとなった要素がある。 「僕が好きな純文学の作品は、コンセプチュアル・アート、言語芸術的な要素があるんです。それを自分なりにやってみたいなと考えた時に、主人公が言葉を喋らない小説にするのはどうかな、と。言葉のコミュニケーションにうんざりしている現代人の心情を、主人公に託したいという意図もありました」
取り巻く状況が悲惨でも笑える
優子は職場や乗馬クラブで発生するコミュニケーションの99%を、愛想笑いとかすかな表情の変化でやり過ごすのだ。そんなことは可能なのかと思われるかもしれないが、不思議なほどに説得力がある。 「そんな主人公って成立するのかな、と僕も不安だったんです。でも、これは実際に書いてみて気づいたことなんですが、黙っていると周りの人が話しかけてきたり、何かと気にかけてくれるものなんですよね。黙っている人には、場を支配するパワーがある。逆に言うと、彼女は黙ることによってコミュニケーションをサボっている」
どんな言葉なら相手に思いが伝わるかという労力を厭い、言葉を必要としないコミュニケーションにかまけていったら、人間どうなるか。「落語的なオチですよね(笑)」。本作は、一種の教訓話でもある。 「この小説を書くうえで常に意識していたのは、チャップリンの映画です。セリフがない、というサイレント映画の演出から学んだことも入り込んでいますし、チャップリンって主人公を取り巻く状況は悲惨でも、笑えるわけです。この作品も、悲劇のピークと喜劇的な状況が重なるラストにしたいと思ったんです」 オチは当初から思い付いていたというが、実際に書いてみると、想像とは異なる感触が残ったという。その感触は、本作の読後感とぴったり同じだ。 「僕は、今の自分が抱えている不安なこととか、イヤだなとか怖いなと感じることに対する処方箋として小説を書くんです。書くにあたってたくさん調べて、物語化することで理解して、それを人に伝えようとすることでテーマが深まる。そして、書き終わる頃には自分なりの処方箋ができている。今回であれば、自分もみんなも言葉を信じられなくなっていることへの絶望が出発点だったんですが、書き終えた時に思ったんですよ。それでも僕は言葉を信じよう、と」 【プロフィール】 川村元気(かわむら・げんき)/1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』『怪物』などの映画を製作。2011年には史上最年少で「藤本賞」を受賞。2012年に発表した初小説『世界から猫が消えたなら』がベストセラーに。著書は他に『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』など。2022年、自身の小説を原作として、脚本・監督を務めた映画『百花』が公開。同作で第70回サン・セバスティアン国際映画祭「最優秀監督賞」を受賞。 構成/吉田大助 ※週刊ポスト2024年10月4日号
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