奥能登豪雨被害を気遣う 珠洲の被災者を受け入れた富山のホテル 「能登美景はがき」今も交流続く
●「また元気で会えるよう支援を」 能登半島地震の2次避難で珠洲市の住民124人を受け入れた富山市のホテルテトラリゾート立山国際の従業員が、豪雨被害を受けた住民の境遇を気遣っている。富山を離れた後も、互いに行き来する交流は続き、豪雨の3週間前には珠洲の仮設住宅に足を運んで再会を喜び合ったばかりだった。従業員たちは「今は祈ることしかできないが、また元気で会えるよう、できる支援をしたい」と能登の地を思っている。 【写真】被災者から送られてきた手紙を読む従業員=9月26日、富山市内のホテル 奥能登が豪雨に見舞われた9月21日、ホテル従業員の携帯電話には、住民から安否や被害を伝える連絡が次々と入った。「宝立地区の仮設住宅は水没しとらんよ」「知り合いが行方不明になっとる」。切迫したメッセージに、遠く富山の地から励ましの言葉を返した。 立山山麓のホテルテトラリゾート立山国際では1月下旬から2カ月半、珠洲市民124人が滞在。うち約80人は豪雨で大規模な土砂崩れがあった大谷地区の住民だった。このうち30人は白山市で今も避難生活を送るが、残る50人は珠洲に戻ったり、親戚宅に身を寄せたりしているとみられる。 ●犠牲の連絡なし 現時点で、ホテルに滞在していた住民が犠牲になったとの連絡はないが、配膳担当の前田志津恵さん(49)は「珠洲に戻った方もたくさんいて心配で仕方ない。被害がないことを祈るしかない」と心配する。 8月29日には従業員5人が車1台に乗り合わせ、珠洲市宝立小中グラウンドの仮設住宅を初めて訪ね、被災者12人と再会していた。富山で過ごした日々の思い出話で盛り上がり、全壊した住宅や大きく崩れた見附島を一緒に見て震災の爪跡の深さを実感した。 呉羽梨や富山の地酒を渡すと、お返しに仮設住宅のプランターで育てたキュウリやナスビ、山で摘んできたブルーベリーをもらった。ホテルの料理長吉田大重さん(50)は「明るい表情が見られてうれしかった」と振り返った。 前田さんは5、6月に2回、白山市一里野温泉の施設へ被災者に会いに行った。7月には一里野温泉の施設で過ごしていた住民12人が富山のホテルを訪問。後日、お礼の手紙をしたため、北國新聞社と日本郵便が企画した「能登美景はがき」を同封してホテルに送った。 大兼政康秀さん(60)=馬緤町(まつなぎまち)=は10月中に白山から珠洲に戻る予定だったが、豪雨の影響でめどが立たなくなった。それでも、「富山の皆さんには感謝している。交流をこれからも続けていきたい」と富山で生まれた絆を心の支えにしている。