脳梗塞のリハビリ中に認知症を発症した大山のぶ代。在宅介護に励む夫・砂川啓介がある夜、階段で「グニャリ」と踏んづけたものは? それでも確かにある“夫婦のぬくもり”
ある夜、「グニャリ」と踏んづけた、それは……
しかし、入浴以上に、僕の頭を心底悩ませるカミさんの行動がある。 ある夜、2階に上がろうとすると階段の踊り場に黒いものが点々と落ちていた。ゴミ屑か何かだろう。思い切り踏んづけたその瞬間、「グニャリ」とした感触が足元を襲った。 ん?これはゴミじゃない。よくよく見ると、なんと人間の大便ではないか。すぐに、ペコがしてしまったのだろう……と理解できた。慌てて、僕はトイレットペーパーを持って来てつまみ上げた。でも、便は床にこびりついていて、上手に取れない……。 消臭剤を吹きかけて硬くなった便を柔らかくしてから、タオルを何枚も使ってゴシゴシと床をこすったが、それでもまだ汚れが残っている。しまいにはスコップを使い、こびりついた部分をガリガリ削り落とした。そうでもしないと落とし切れないのだ。 ペコの便を片づけている最中、僕は我を忘れていた。もともと僕はきれい好きで、臭いにはかなり敏感なほうだ。嫌な臭いが漂う場所は、正直言って耐えられない。 「とにかく早く片づけなくちゃ」と必死だったのだと思う。 だが、ひととおり作業を終えた僕を待っていたのは、言いようのない疲労感だった。ずっと背を丸めて床に向かっていたので、腰にも鈍い痛みが走る。 「いったい何をやっているんだ、俺は……」 これから先、ペコの在宅介護を続ける限り、こんなことが毎日続くのだろうか。 「お願いだから、ペコ……もう二度と、やらないでくれよ」 認知症患者に、そんなふうに思うこと自体、間違っているのだろうが、それが僕の本音だった。
大人用紙オムツも嫌がってしまう
翌朝――。 カミさんは、いつもと変わらない様子で起きてきた。 「ペコ、昨日、トイレが上手くできなかったのか?」 「どうして? そんなことないわよ」 「階段に大便がたくさん落ちていたんだよ。もしかして、トイレに間に合わなかったんじゃないのか?」 「知らないわよ、あたしじゃないもの!」 カミさんは、本当にまったく覚えていないのだ。それどころか、「よく覚えていないけれど、もしかしたら、粗相してしまったかも……」と顧みようとする素振ぶりさえない。彼女の答えは、頑なまでの“完全拒否”だった。 この頃から、カミさんはトイレを普通に使うことができなくなっていた。一人で用を足すことはできても、流すことを忘れてしまう。きちんと便器に用を足すこともできないことがあるので、彼女が入った後のトイレは、そこらじゅうが汚れていた。 我が家には2階と3階にトイレがあり、3階のトイレは洗面所と一体型になっている。ある日、3階のトイレで顔を拭こうとしたら、タオルが妙に臭うことがあった。顔を近づけてよく見てみると、黒っぽいものが……。きっと、彼女が便を触った手でタオルに触れてしまったのだろう。 また、あるときは、お尻を拭かずに下着をはいてしまい、下着に大便がついていたこともある。次第に、尿意をもよおしてトイレに向かっても、ペコは間に合わず途中で漏らしてしまうことも増えるようになってしまった。これでも、僕も家政婦の野沢さんも、掃除がとても追いつかない。 2014年の夏頃だっただろうか。 ついに、カミさんに大人用紙オムツをはいてもらうことにした。 当初、彼女は嫌がって、オムツを脱いでしまうことが多かった。トイレに行くと汚れたオムツを脱いで、そのまま何もはかずにパジャマのズボンを上げてしまうのだ。 当然、お尻をきれいに拭いていないので、ズボンはどんどん汚れてしまう。おかげで、パジャマのズボンを何本ダメにしたことだろうか。おそらく10本はくだらないだろう。