【8歳で亡くなった少年との約束】果たせなかった約束は病と闘う子どもたちのために 小児がんを経験した青年が“道化師”として活動する思いに迫る
毎年2000~2500人の子どもが新たに発症すると言われ、15歳未満の子どもの死亡原因上位3位以内に必ず入ってくる小児がん。その治療は苦痛を伴う骨髄検査や、つらい副作用のある抗がん剤投与など過酷だ。 【写真8枚】闘病中の少年時代の林さん そんな厳しい医療の現場で、小児がんと闘う子どもたちを励ますクラウン(道化師)として活動する林志郎さん。クラウンネームは本名をもじった「クラウンシロップ」だ。主に北部九州の小児病棟を訪れ、ジャグリングやパントマイム、マジックなどを披露して子どもたちに笑顔を届けている。 林さんのクラウンとしての活動歴は10年以上。なぜクラウンを始めたのか、その経緯を取材した。
自身の闘病経験、病棟ボランティアで知ったクラウンの力
実は林さんもかつて小児がんを患っていた。6歳のときに血液のがん、急性リンパ性白血病を発症している。現在、小児がんに罹患した子どもの8割は社会に復帰していくが、林さんが闘病していた1980年代中頃は6~7割が亡くなってしまう病気だった。同じように小児がんで入院していた周りの子どもたちが次々と亡くなっていき「次は自分の番かもしれない」と怯え「寝たらこのまま目を覚まさないんじゃないか」と眠れなくなる日もあった。 3年間の闘病生活の末、林さんは白血病を克服。そして29歳のときに、自身が入院していた久留米大学病院の小児病棟で、子どもたちの遊び相手をするボランティアを始める。その過程で病棟に東京から2人のクラウンを呼ぶことになり、病院とクラウンの間を取り持つコーディネーターとしての活動も開始した。当時九州の病院にクラウンが訪れた実績はほとんどなく、訪問当日にその様子を初めて目の当たりにした林さんは衝撃を受ける。 「病棟内では子どもたちは痛がっていたり、つらかったり、どこかで常に泣き声が響いています。でもクラウンたちが入っていくと、そんな病棟の中で、あっちからもこっちからも笑い声が聞こえてくるんです。それはもう、色をなくした枯れ草ばかりの冬の草原に『ぽっぽっぽっぽっ』と花が咲いて、色が付いていくようでした」 今でも忘れられない光景がある。 「病室を一つ一つ回っていく中で、植物状態で寝かされているお子さんの横で、お母さんが表情もなくただ茫然と座っている状況に遭遇しました。私は正直『ここにクラウンが入っていったところでどうにもならない』と思ったのですが、クラウンたちは躊躇なく入室していき、一人のクラウンがウクレレで優しい曲をゆっくりと奏で、もう一人のクラウンはそのメロディーに合わせて歌を歌ってくれました。そして最後のフレーズを弾き終えたとき、お母さんが『来てくれてありがとうございます』と涙を流されたんです。直面しているのは悲しい現実であることに変わりはありません。でもその場面に胸がとても熱くなり、クラウンの持つ力の大きさを強く感じました」