娘が正体不明の病気にかかってしまったおかげで、心の断捨離が始まった。「よくない出来事」は起こってもいい
こんにちは、エディターの昼田祥子です。 今日から新しい連載がスタートします。 3年かけた私の「服捨て」。それまでクローゼットの整理は定期的にしてきましたが「捨てられないモノ」を前に、その奥に一歩踏み込もうと思ったことがありませんでした。数を減らそうという意識もなく、持っていればいいよねと。 それが服と本気で向き合いはじめてすぐさま壁にぶつかり、はっきりと「私は捨てられない人なのだ」と自覚しました。言い換えればモノが自分のよりも上にあり、モノに主導権を握られている状態。仕事も人間関係も思い通りにならないことだらけで、モノさえも動かせない自分が情けなくて、悲しかった。 服も「ベース」と「ポイントメイク」に分けて考えるとおしゃれが明確に!限られた枚数で着回すコツとは?【断捨離クローゼット】 このまま引いてしまえば、何も変わらないまま。こんな私を脱却したい。モノがどうというよりも、何もかもうまくいかない人生に対する絶望と怒りが込み上げてきて、今までと違う行動を取りはじめたのです。服くらい捨ててやる、こんな人生、もうごめんだ。それが服捨ての始まりです。 思えばそれは「受け身の人生」から「自分が主役の人生を生きる」と決意した瞬間だったように思います。 服は50枚に減り、少なくてもおしゃれを自由に楽しめるクローゼットに。あんなに切り離せなかった服とはいい距離感が生まれ、狙い通り「モノに翻弄されない自分」になれた。この私でいいのだ! 足で地面を捉えている感覚が今までより強くなり、行動力も増した。そんな変化に自分自身が一番感動していたと思います。やったよ私、変われたよ! なんでもできそうな気がして、未来は明るい!と本気で思っていた矢先に、奈落の底に落とされる出来事が起きたのです。服捨てが終わってすぐの2019年春のことでした。 当時2才だった娘が熱を出し、夫婦ともに仕事が休めないため病児保育へ預けることにしました。朝は軽い発疹がある程度だったのに症状が悪化。夕方迎えに行ったときには、発疹が大きく広がり、全身がマダラ模様の痛々しい姿になってしまっていました。なんでこんなことに? というショック。「こんな症状は見たことがない。なんの病気かわかりません」という小児科の先生の言葉が、もっと不安にさせた。 どう見ても重症の娘。誰にも見られたくなくて、ストールで隠すようにして帰りました。 娘はどうなるんだろう、治らなかったらどうしよう。この赤い斑点は消えるのだろうか。消えなかったら娘は周りにどんな目で見られるのだろうか。不安が暴走し、悪いことばかりが浮かんでくる。心配で落ち込み、疲弊し、起きている間じゅう思考がぐるぐる止まらない。 幸いなことに娘の機嫌はよく、いつものように「ねぇ、ママ、ママ」とキラキラした瞳を向けてくるのに、可哀想な姿をまともに見ることができず涙が溢れた。着替えもしてやれなかった。母親なのに私は一体何をしているんだろう? 心底自分が情けなかった。なぜ私は出来事にこんなに反応してしまうんだろう。自分の心なのになぜコントロールできないのだろうか。 そのとき、はっきりと決意したのです。もうこんな自分は、たくさんだ。またもや自分に嫌気がさし、今度は「外側の出来事に翻弄されない自分」になりたいと固く誓いました。数日後、のちの師匠となる瞑想の先生に出会い、ふたたび人生を変えていくことになります。 これが私の第二章の始まり。 目に見えるモノの断捨離から、目に見えない心の断捨離へ。今日までの5年間、日々、目の前で起こっている出来事に対して、自分の心を見つめてきました。 モノを捨てる方が簡単だったかもしれません。心の断捨離は、正体が掴めないからこそ、しっかりと丁寧に掘っていく必要がありました。ちょっとしたテクニックも必要。だけどどちらもやることは一緒、「捨てる」です。 ・イラッとする人がいてストレス ・ママ友とうまくやれない ・人が多いと自分が出せない ・人と比べてしまう自分が苦しい ・健康状態が悪いと落ち込んでしまう ・お金の不安がなくならない ・お金がなくて好きなことができない ・やりたい仕事がわからない はい、ぜ~んぶ、我が心と向き合って解決させましたよ。つまり、人生いくらでもひっくり返せるんです。安心してください(笑)。 今日からお届けするのは、私が実践してきた「心の断捨離体験記」です。あなたの人生にも応用することができます。必ず変わるので、ぜひやってみてください。 「1000枚の服を捨てたら、人生が思い通りに展開していった話」、はじめていきます! (次回へ続く)
昼田 祥子