「当時は期待に応えようとしすぎた」DeNA大田泰示が引退会見で語った巨人時代「悔いはありません」
巨人、日本ハムを経て今季までDeNAでプレーした大田泰示外野手(34)が18日、横浜市内の球団事務所で引退会見を行った。重圧をはねのけて、3球団を渡り歩いてきたが、今季はプロ16年目で初の1軍出場なし。体調面は問題なく現役続行を模索してきたが、NPBからのオファーがなく決断。「今はもう悔いや後悔はありません」とすがすがしい表情でプロ野球生活に別れを告げた。 もう迷いはなかった。すっきりした表情で大田は現役生活に別れを告げた。「16年間のプロ野球生活を引退する決断をしましたので、報告しにきました」。10月1日に戦力外通告を受け、現役続行を目指すも、1か月待ったがオファーがなく「次のステージに向かう気持ちはずっと持っていた。家族と話して決断しました」と続けた。 2008年ドラフト1位で巨人に入団すると、松井秀喜さんの背番号「55」を継承。期待を一身に背負いながらも、8年間でわずか9本塁打。成績を残せず厳しい声が届いた。託された思いや責任を感じ、試行錯誤を繰り返した。「当時は人生の経験が浅い僕がその期待に応えようとしすぎた。でも、その瞬間、瞬間で一生懸命やってきたつもりなので悔いはありません」。苦しみながら土台を築いた。17年に日本ハムに移籍すると、レギュラーをつかみ19年に自身初のシーズン20本塁打、20年にゴールデン・グラブ賞を受賞。22年からプレーしたDeNAでは明るさと躍動感のあるプレーでファンを魅了した。 今後は未定だが球界に携わり続ける。「3球団のユニホームを着て野球をできたことは楽しかった。野球界に還元できるように活動していきたい」。熱い男が静かにユニホームを脱ぎ球界への恩返しを誓った。(内藤 菜月) ◆大田に聞く ―16年間を振り返って。 「一番大きかったのは、いろんないい人に出会えたこと。ドラフト1位で入団して55番をつけさせてもらったのもいい経験になった」 ―神奈川でプレー。 「高校時代は本当にきつかった思い出しかない。横浜スタジアムでは大一番で負ける試合が多かったのが思い出だけど、高校の時に感じた興奮や楽しさをもう一度味わえたのは印象的だった。僕が育ててもらった球場。引退を決めてベイスターズで終われたのは、何かの縁。特別な存在」 ―家族への感謝。 「すごく大変な思いをさせてしまったけど、両親が野球中心にしてくれなかったらプロ野球選手にはなってない。プロに入ってからも結果が出なくて不安にさせたかな。ファイターズで試合に出るようになって、テレビで見てもらう機会も増えて喜んでもらって。ベイスターズで縁のある地で野球をする姿を見せられて、親孝行というかそういう姿を届けられたことはよかった。単身で北海道にも行って家族と一緒にいる時間は少なかった。これからはそういう時間に充てたい」 ◆大田 泰示(おおた・たいし)1990年6月9日、広島県生まれ。34歳。東海大相模から2008年ドラフト1位で巨人入団。16年オフに日本ハムにトレード移籍後、レギュラーに定着し、19年に自己最多20本塁打。20年にはゴールデン・グラブ賞。21年オフに自由契約となりDeNAへ。通算907試合で718安打、打率2割5分9厘、84本塁打、343打点。188センチ、96キロ。右投右打。既婚。
報知新聞社