《ブラジル》特別寄稿=映画『オキナワ サントス』を鑑賞して=アチバイア市 中沢宏一
■「退去命(サントス退去)」 7月7日の日、突然、日独人のサントス退去命がオールデン・ポリチカより出る。即時退去命に 一時は皆困った。 自分には午後3時頃来る。その日は領事(スペイン)の所にて打ち合わせやら友人と会うなど一日が過ぎ、夜、歯科道具の小さい器具だけパラグアスーに発送する。スペインの金と取り替える際に刑事に捕まって困った。 8日午前10時に一行700名聖市(サンパウロ市)に向かって発、午後3時着、先着の者と会っていろいろ語る。厳重なる警護下にいろいろの手続きを済ませて、その夜は収容所にて一泊、夜は友達と戦局の動き、今後の身の処置について一晩語った。 この退去命の根本原因はサントスの沖合いにて米伯両国の船がドイツの潜水艦がによって7隻沈められた為による故に、サントスが戦争区域になったためであった。 7月9日の朝は早くから忙しかった。まるで捕虜取り扱い同様なのに一同憤っていた。自分も2、3回フィスカールと口論する。結局損だ。仕方がない。戦後にこの埋め合せをしてもらうより外にない。 刑事付きでカミニョンにて送られるので聖市の市民が皆見ていた。今に見ておれと義憤の火が胸を熱くするのをどうすることも出来なかった。 雪子生後8カ月の可愛い我が最愛の天使は何も知らずに妻の胸に抱かれてニコニコしている。午後6時頃特別車にてソロカーバ駅を発つ。各自希望の地に向かって行くので、皆思い思いの所にて下車する。手荷物一つでサントスの家をそのままにて来ているので皆心配していた。 夜は寒かった。雪子のお守で妻も疲れていた。10日の午前10時にパラグアスー駅に着き、丸林旅館に行く。皆さんサントスの状況を聞きに来るので疲れているが語る。夕方市長が来たので語る。 収容所では寒かったので風邪を引いて困った。11日やっと我が身の自由を感じられ すっきりした。、、、、、、
◎ 宮村秀光さんと知り合ったのは2010年頃、戦後移住60周年記念の話が出始めた頃で、「熊本県人会会長の宮村季光さんがお父さんですか、、、、お母さん敏子さんのお腹に居ってサントスから、、、」というところから親しみを感じました。さらに同じ年でもあり、何かにつけてお付き合いさせて頂いておりますが、この『オキナワ サントス』で共有することが増えたように感じます。 40年前の高野会長、宮本副会長、浜田理事、宮村熊本県人会会長さんらと県連センターで同志となり語り合った頃が懐かしく甦りました。