「再開した熊本競輪場で走れず引退した先輩たちの分まで」地震直後に物資運んだ2人のレーサーが奮闘誓う/熊本競輪
熊本競輪「令和6年能登半島地震復興支援競輪 熊本競輪再建記念(F1)」は20日に初日を開催した。熊本地震を乗り越えて再開した今回を待ち望んでいた福岡・北九州支部の八谷誠賢(49歳・福岡=77期)と松尾信太郎(41歳・福岡=92期)に話を聞いた。 特別な思いで今開催を迎えたのは地元勢だけではない。福岡・北九州支部の八谷誠賢と松尾信太郎も熊本競輪の再開を心待ちにしていた。 松尾:熊本地震の時は高知記念を走ってました。高知も震度2くらいだったかな。揺れたんですよ。そうしたら熊本が大変なことになっていて、熊本勢が途中欠場して帰ったんです。 八谷:僕は自宅にいて結構揺れましたね。携帯も緊急のアラームが鳴りっぱなし。で、テレビをつけたら熊本があんなことになっていて…。 松尾:で、僕は帰ってきてから1回、吉岡啓史(75期、引退)さんと一緒に熊本まで物資を届けに来て、それでまた八谷さんと行くことになったんです。 八谷:どういう経緯でそうなったのかはっきりとは覚えてないけど、とにかく物資がいろいろなところから結構集まっていて、熊本競輪場が物資等が運ばれる拠点になっていると聞いて。僕が大きい車だったのもあって詰めるだけ詰めて持って行こうと。おむつと水が多かったですね。僕が運転して。 松尾:僕は助手席で。 八谷:ふんぞり返ってましたよ。 松尾:そんなことない、そんなことない! 八谷:道がとにかく混んでましたね。高速道路も通行止めが緩和されて途中までは行けるようになっていたけど、やっぱり近くまではもちろんダメで。そこからは下道で。 松尾:下道はとにかく混んでました。街灯とかもつかないから暗いし。信号機もついてるところもあったけど、ほとんどは警察の人が誘導してましたね。昼に出て、たしか夜に着いたんじゃなかったかなぁ。 八谷:混んでたね。帰りはしゅーんだったのに。 松尾:帰りは早かったですね。やっぱり熊本方面に行く方が多くて、あっちに行く人がいないんです。 八谷:僕たちみたいに物資を届ける人もたくさんいたんでしょうね。 松尾:競輪場に着いたら…。 八谷:ブルーシートとか、なんかもうとにかくすごいことになっていて。 松尾:言葉が出なかったです。 八谷:こんな中で生活しているんだ…って思わされましたね。 松尾:時松正さんに建物の中とかバンクも見せてもらったんですよ。 八谷:バックスタンドのガラスが落ちてて、バンクにもヒビが入ってて。ショックでしたね。 松尾:本当に。言葉を失いましたね。向かってる間も着いてからも何回も地震があって。 八谷:なんか、ゴゴゴゴゴゴ、みたいな。地震の音がするんですよ。 松尾:みんなが『ありがとう』って言ってくれるんですけど、なんか何も言い返せなくて。頑張ってくださいって言うのもなんかあれだし…。 八谷:そうだったね。 松尾:で今回、前検日に時松さんに『あの時はありがとう。来てくれたの覚えてるよ!』って言ってもらえて。嬉しかったですね。 八谷:再開してくれて感無量ですね。 松尾:1Rを見てて鳥肌が立ちましたね。お客さんがすごくて。僕たちも待っていたけど、お客さんたちも待っていたんですよね。 八谷:声援もすごいし、結果を出したかったんですけどね。 松尾:ですね。 八谷:お客さんたちに感動させてもらってます。 松尾:本当にそうです。ありがたいです。 八谷:地元でもない僕たちが言うのもあれなんですけど、再開する熊本競輪場を走れずに終わってしまった先輩たちの分もできる限り頑張って走りたいですね。 2016年の4月22日、必要としている被災者たちに物資を届けようと立ち上がった2人が熊本競輪8年ぶりの再開初戦を走っているのは偶然だったとは思えない。競走以外の部分でも勇気を与えた2人が、今度はその地でファンから勇気を与えられている。準決勝行きを逃してしまったが、2日目、3日目も入魂の走りを見せてくれるはずだ。(netkeirin特派員)