「悪性だったら覚悟を」幼少期に骨に腫瘍発覚した元・乃木坂46 衛藤美彩 「父はショックのあまり気絶して」自身に影響を与えた両親の子育て観
衛藤さん:当時は幼くて事の重大さを認識していなかったので、運動会に出られないのが嫌だとか、そんな程度の気持ちだったと思います。手術後は切断した骨がくっつくまで広範囲をギプスで固め車いす生活でした。 自宅で安静にしていたのですが、子どもは回復も早いみたいで。リハビリなどをしながら歩けるようになりました。とはいえ、低学年のうちは走ることが禁じられていましたし、不自由が残る部分はありました。小学校は階段しかないのですが、お友達や母が付き添ってくれるなど、周りにたくさん助けてもらいました。その後、中学3年生になるまで毎年検査をして再発していないか調べました。
入院中の話ですが、当時4人部屋だったんですけど、突然個室に移動したのを覚えています。あとで大人になって聞いた話ですが、向かいのベッドのお姉ちゃんが亡くなっていたんだと知りました。いつも折り紙とか教えてくれた優しいお姉ちゃんがいなくなり、当時は「治ったからおうちに帰ったんだよ」と言われていたんです。ですが、同じ部屋の子が立て続けに亡くなってしまい、両親も精神的につらくなり、無理をしてでも個室に移動したんだと明かしてくれました。
── ご両親も、闘病するお子さんたちを目の当たりにし、ショックを受けられたことと思います。もし娘の腫瘍が悪性だったらと思うと結果待ちの間は気が気じゃなかったのではと想像します。 衛藤さん:転移があれば足を切断する可能性があると言われたようです。当時、家には両親が読んでいた病気に関する本がたくさんありました。もし娘がこうなったらどうなるんだと調べる日々だったそうです。母は「もし娘が助からなかったら、私も逝く」という気持ちだったようで。自分の命に代えても惜しくないと「身代わりになるので助けてください」と毎日お祈りしてたと言います。
私も母となり、もし同じ境遇で息子や娘がそうなったらと想像しただけでも、母の気持ちがわかる気がしました。変われるなら変わりたいと。私もそうなるだろうなと。