多くの人が勘違いしている、幸せになるために「絶対にしてはいけない考え方」
現代社会は、とにかく生きづらい。そして運命は残酷だ。生きていくということは、なんて苦しいのだろう。 【写真】多くの人が勘違いしている、幸せになるために「絶対にしてはいけない考え方」 「苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか」ーーこの問題に真剣に取り組んだのが、19世紀の哲学者・ショーペンハウアー。 哲学者の梅田孝太氏が、「人生の悩みに効く哲学」をわかりやすく解説します。 ※本記事は梅田孝太『ショーペンハウアー』(講談社現代新書、2022年)から抜粋・編集したものです。
幸福についての臆見
では、いよいよ『幸福について』の内容を見ていきたい。 「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」こと。それが『幸福について』の冒頭でショーペンハウアーが掲げる生き方の指針である(邦訳9頁)。 この「できるだけ」というところが、ことのほか重要である。わたしたちは、「できるだけ」の範囲を見極めなければならない。 これは、より多くの幸福を求めるのではなく、「できるだけ」苦しみを少なくすることだと解釈できる。それが失望のうちに沈みきってしまわぬように生きていくための秘訣なのだ。 すなわち、「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきをめざす」。これをショーペンハウアーは『幸福について』第五章冒頭で、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』が提示した「人生の知恵の最高原則」だとしている(邦訳190頁)。 幸福とはいったい何だろうか。わたしたちは幸福になりたいと願い、当たり前のように、「~したい」、「~になりたい」という欲望がより多く満たされ、快楽が得られれば幸福になれると考えている。 そうして欲望を満たし続けて、ずっと快い生活が続くこと、それが人生の究極目標だとさえ考えてしまいがちだ。
より「幸せになろう」としてはいけない
だが、人生には挫折と失望がつきものである。そもそも欲望というものはたいていの場合、他者の欲望とぶつかってしまい、すぐに挫折させられてしまう。 挫折を乗り越えて他者を打ちのめし、欲望が満たされて快楽を感じることがあったとしても、すぐに退屈がやってきて、別の欲望がまた襲ってくる。欲望にゴールはない。 はたして、「欲望の満足=快楽=幸福」というのは、正しい考えなのだろうか。これはむしろ、哲学的な吟味によって退けるべき臆見なのではないか。この臆見を抱え込んでしまっているために、わたしたちはむしろ苦しんでいるのではないか。 ショーペンハウアーの幸福論は、「どうすれば欲望を満たすことができるか」を教えてくれはしない。むしろ、「より多くの欲望を満たせばより幸せになれる」という、幸福についてのお決まりの臆見を解体することをねらっている。 「より幸せになろうとする」よりも、「できるだけ苦しみを少なくする」こと。 それが、人生そのものに失望してしまうことを避け、心穏やかに生きていくためにショーペンハウアーが教えてくれる「人生の知恵」なのである。 さらに連載記事<ほとんどの人が勘違いしている、「幸福な人生」と「不幸な人生」を分ける「シンプルな答え」>では、欲望にまみれた世界を生きていくための「苦悩に打ち勝つ哲学」をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
梅田 孝太