【中越地震20年】旧山古志村“全村避難”から7割帰村 避難生活支え合った住民「村に戻る」か「村を出る」か…迷いながらも下した決断に「悔いはない」
■山古志の復旧・復興目指す中…“村を出る”議論も
長島さんは毎日欠かさずノートを確認し、住民と気持ちを合わせるよう、一つ一つメッセージを返しました。そして… 【山古志村 長島忠美 村長(当時)】 「私たちはあのふるさとを愛しています。そして、先祖から受け継いだあの地に帰りたいと願っています」 その後、仮設住宅に入っても何度も話し合いを重ねた住民たちは「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズのもと、山での生活を取り戻すことを目指しました。 一方で長島さんとともに復興業務にあたった元山古志村幹部の青木勝さんには、同時にある懸念もよぎっていたといいます。 【元山古志村幹部 青木勝さん】 「“帰ろう山古志”でそれはやりますよ、だけど山古志に金をかけるのももったいないから、みんな出ればいいという議論が当時からあった。我々が一番恐れたのは、そういう議論が主流になったら山古志の復旧・復興はないと。そういうジレンマみたいなものはずっとあった」
■地震から20年…迷いながらも下した決断に「悔いはない」
あれから20年…今年発生した能登半島地震でも中山間地の復興のあり方が問われる中、山古志の人口は約720人と地震前と比べ、3分の1に減っています。 この日、竹沢集落では恒例の夏祭りが開かれ、神輿が地域を回りました。 【区長】 「この先どうなるか分からない。高齢化なので、軽トラで回ろうかという話が出ている」 参加する住民は年々減っているものの、地震をきっかけに毎年ボランティアとして訪れている東京の学生が今年も参加し祭りを盛り上げました。 【学生】 「近隣同士のつながりがすごく残っている。一人ひとりのパワーがすごくある地域だと思ったし、来てよかった」 復興を遂げた地域に魅力を見出し、様々な形で関わる人がいます。そして、いま住民からはふるさとに戻った選択を後悔する言葉は聞こえてきません。 【星野サツ子さん】 「ここでしか生きる術を知らなかったのもあるかしれない。ここだったら、なんとか生活できるなと」 【星野吟二さん】 「かえって団結力が強くなったのではないか。地震後は」 そこには20年前、迷いながらも最終的に自分たち自身で考え、下した決断があります。 【星野サツ子さん】 「なるようにしかならない。そう思っているだけ。自分の考えでしたことには悔いがない」 【星野吟二さん】 「前向きになって、一日一日を楽しみながら過ごしている」
NST新潟総合テレビ