モデル仲川希良の「絵本とわたしとアウトドア」#29 みたらみられた
生きものと視線が合うことで生まれる空気を感じられる一冊
フランス人の父の実家は田舎の小さな村の外れで、周りにはいくつかの森と、あとはただひたすらに牧草地が広がっているような場所でした。散歩に出ても、出会うのは人ではなく牛か羊。バカンスで帰省中に時間を持て余した私や姉弟は、道端のベリー類を摘んで口に放り込みながら、草を食む動物たちの姿を毎日ただぼんやりと眺めていました。 しかし眺める分にはあんなにものんびりとして可愛く思える子たちなのに、上げた顔を自分に向けられた途端に緊張感を覚えるのはなぜでしょう。こちらを威嚇しているようすでもないのに、目が合った瞬間に思わず後ずさり。自分が見ている側だったはずなのに、見られたと気づいたときにはもう、その真っ直ぐすぎて気圧されるほどの視線に、立場が逆転したような気にさえさせられるのです。 「みたらみられた」はまさに、そんな瞬間をたっぷり味わえる絵本です。作者である竹上妙さんは長野で牛に囲まれたときの衝撃をきっかけに、「見たら見られた」をテーマにした木版画作品をたくさん生み出しています。 様々な生きものたちを「みたら」「みられた」というシンプルな体験がこの絵本のページをめくるたびに繰り返され、視線が合うことで生まれるあのドキッとする空気が、ちょっぴりユーモラスな生きものたちの目にぐっと込められているのを感じます。 絵本のなかでは「みたら……みられてた」という展開もいくつかあるのですが、山を歩いているときはこちらの頻度の方が高いかもしれません。 大菩薩峠の下山中、登頂も終えお昼も済ませ、足取り軽く登山道を降りていたときのこと。ふと木々の向こうに目をやると、こちらをじっと見据える黒目がちな瞳がキラリ。一頭目に入ると次々見えてくるもので、十頭を超えるシカの群が揃ってこちらを見つめていることに気づき、自分の鼓動が大きく跳ね上がったのを覚えています。 姿を目にする機会こそ多くはありませんが、ホヤホヤの排泄物やクッキリと残された足跡を見つけ、この主はきっといまも我々を見ているだろうと思うと、取り囲む森のなかに急に無数の瞳が感じられるものです。 絵本の最後に登場するフクロウは、もはやその後ろ姿でもこちらを見ているのではという静かな気迫。確かに動物たちはさまざまな気配である意味登山者を「見て」いるのではと想像すると、こちらも心の目でそんな山の住人たちを感じながら歩きたいたいものだと思ったりします。
今回の絵本は……
作 竹上妙 アリス館。 原画も展示されていた先日の展覧会では、絵本以上に生々しい「見たら見られた」をたっぷり体験。竹上さんご本人も、自身が描く動物たちのように真っ直ぐな目をしてらした
ランドネ編集部