“美人”よりも、“小綺麗な顔”のほうが、人生はるかに得をする
人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「“美人”よりも、“小綺麗な顔”のほうが、人生はるかに得をする」。 〈画像で見る〉人生をうまくいかせるための「小綺麗」とは?
美人は男運が悪い? 美人が幸せになれるとは限らない?
美人は本当に得なのか? いつの時代もひっそり提示されてきた疑問。ただ、いつもそこに明快な答えは出されない。疑問が疑問のまま、次の時代に持ち越される。なぜか? 何だかんだ言っても、人生総合的には美人のほうが得なことが多いでしょ?という見方が大勢を占めているからだ。 ただ「美人が幸せになれるとは限らない」という、やはり以前からあるネガティブな法則が、アンチルッキズムの流れになって、より鮮明に浮き彫りにされるようになった。そう、だからがむしゃらに美人を目指すことはないのではないかという、新しい提案が目立ってきてもいる。 たとえば、「美人は、男運が悪い」……これも昔から言われてきた理屈で、美人女優の夫が不倫したり、不祥事を起こしたりするたびに、すかさずこの議論が浮かび上がるが、それはある意味、正しい。 美人を見ると、落とさずにいられなくなるタイプの男は、いかなる美人を妻にしても、その性分は変わらない。また不祥事を働いてまで私腹を肥やそうとする男は、ルッキズム=外見至上主義の申し子のようなタイプが多くなる。美人に、そういう男が近づいてくる確率が高いのは間違いなく、美人は案外、自分の外見を高く評価してくれる男に弱かったりするから、必然的に男運は悪くなるのだ。 一方「美人が幸せになれるとは限らない」という説も、美人になれば幸せになれるという女性だけの幻想がある限り、期待に沿うだけの幸せを得られないことはもう決定的。さらにうがった見方をすれば、それこそ美人だから玉の輿に乗れたとしても、それで幸せかどうかは別の話だ。 また美人コンテストの覇者などが陥りがちな、絶世の美女と言われたがために、運命に翻弄されてしまうケースも古今東西、枚挙にいとまがない。いずれにせよ、美人になれば幸せになれるという決めつけは、もういい加減やめるべきなのだ。 とはいえ現実には、ルッキズムが否定されてもなお、美人になりたい人はそれほど減っていない気がする。それは、一つの本能だからなのだろう。理屈を超えて美人を目指すことが人生の目的になっている人さえいる。確かにそれは生きるためのエネルギー、否定するつもりはない。でも美人よりはるかに得をするカテゴリーがあるのを知っておくべきだ。“小綺麗な人”という。 小綺麗……ほどよく整っていて、清潔感があり、気持ちのいい感じがする様子。間違えてほしくないのは、“少しだけ綺麗”という意味ではないことだ。