『最上級の挑戦者=ダイバー』を育てる、日米でプレーした中川和之コーチに聞く(後編)「八村、渡邊に続くNBA選手を出したい」
坂本龍馬ゆかりの地、長崎を拠点に
日米通算13年間、プロ選手として活躍した中川和之が4月からU12、U15世代の育成に乗り出す。2018年から6年間ヘッドコーチを務めた環太平洋大(IPU、岡山市)から、舞台を長崎に移してクラブチーム「DIVER CATS NAGASAKI」を立ち上げた。後編では長崎を選んだ理由やチームの未来図を聞いた。 ――オリンピックの金メダルを取るという目標は並大抵のことではありません。 20年前なら「お前正気か?」と思われてもおかしくありません。だけど、今は八村塁がレイカーズに、渡邊雄太がグリズリーズにいます。世界のバスケットボール競技人口4億5000万人の頂点に立つ450人にアジアから日本人の2人だけという奇跡が起きています。彼らに続く選手を出していけるように、大人が恥ずかしがらずに『日本がバスケで金メダルを取る』と言った方がいい。スペインは先駆けて、そういう目標を掲げてアメリカに対抗していったと思います。やっぱり、まずは大人が本気で夢を見ないと。 野球では昨年のWBC決勝の試合前に大谷翔平が『あこがれるのをやめましょう』と言っていましたよね。俺もどこでもいいから、大きな声で『本気で日本のバスケをよくしたい』と言いたかったし、その発信源として選んだのが長崎でした。『金メダルを取る』と毎日唱えています。 ――長崎で活動を始める背景は。 現役引退時に『バスケ界の坂本龍馬になる』とみなさまに伝えたからには龍馬が拠点にしていた長崎で、と思い立ちました。クリニックなどで長崎の関係者の方々と交流が生まれ何度か足を運ぶうちに、『この街やばいな』と思うようになりました。坂本龍馬の神社が九州で唯一あって、龍馬が設立した日本初のカンパニーの亀山社中もある。加えてチームの名前にもなっている猫の神社もあります。また、かつて210年続いた鎖国時代にも世界と唯一繋がっていた街が長崎で、これから世界を目指す子供たちを育成するにはもうここしかないじゃんと思いました。 ダイバーキャッツの『ダイバー』は、チャレンジャーの最上級を意味しています。スカイダイビングのように「ダイブする」という感覚は飛んだ人しか分かりませんよね。俺も会社、チームを設立して本気でダイブする。『ま~たカズが馬鹿なことを言い始めたな』と思って、賛同してくれる方がいてくれればうれしいです。俺はバスケットの実力はそれほどなかったけど、NBA選手が1人もいない時代に本気でNBA選手になると言って、JBLのオファーを2度断って渡米しました。年は取っても昔から何にも変わってないんですよ。 ――専修大からABAに挑戦して田臥勇太さん(宇都宮ブレックス)とマッチアップしていました。 田臥さんは2003年にABAのロングビーチ・ジャムと契約し、翌年にサンズに入団されました。12月に解雇となりましたが、翌日には俺が所属していたロングビーチ・ジャムと再契約し、結果的に俺は弾き出されてしまいました。当時は正直『クビになってまた戻ってきて、日本の若手の芽を摘むなよ』と思っていましたが、自分がどれだけ甘かったか、目が覚めました。アメリカプロデビューで全く通用せず解雇されたことが、翌シーズンのABAオールスター、日本人史上初出場へと繋がりました。だから、失敗すること、ダイブすることが成功への近道だと思います。 俺の背番号「10」は過去、トライアウトに10回落ちたからです。ダイバーキャッツの由来となったのはうちのネコですが、高いとこから飛んで失敗しても、めげずに何回も飛ぶんです。そういう姿を見ると自分も頑張ろうって元気づけられます。地元の山口県の他、東京や大阪、福岡も候補として考えていましたが、もう長崎以外ありえないという状況まで腹落ちしたので、今、長崎にいます。
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