全米最大のオタク文化発信地「リトルトーキョー」の苦難と被差別の歴史《現地を歩く》
アメリカ・ロサンゼルス。世界有数の大都市の中にも「オタクスポット」が存在する。リトルトーキョーだ。 【画像】【写真特集】リトルトーキョーの町並みと「全米日系人博物館」の展示たち(全8枚) いわゆる「日本人街」は全世界に存在するが、リトルトーキョーはその中でも特別な街。19世紀から20世紀にかけての日系移民の苦難と、現代の秋葉原系オタク文化が同居する不思議な雰囲気を醸し出している。ロサンゼルスの中にあって、ここだけがロサンゼルスとはまったく違った空気に包まれているのだ。 平日の日中も現地のオタクたちが集うリトルトーキョー。今回はこの地区を散策しながら、オタク文化が日米の友好を促進している事実を解説していきたい。(文・写真:澤田真一)
リトルトーキョーは「小秋葉原」
紀伊国屋書店、アニメイト、ブックオフ。リトルトーキョーを初めて訪れた日本人は、これらの店舗の看板がロサンゼルスにもあることに驚くはずだ。 しかも、紀伊国屋書店やブックオフは日本の店舗よりもさらに「日本らしい」商品のラインナップである。 本は漫画を中心とするラインナップで、アニメグッズや日本製のレトロゲームも豊富に陳列されている。つまりこれらの店舗は「書店」ではなく「グッズショップ」なのだ。したがって、現在のリトルトーキョーは「リトルアキハバラ」と改称しても構わないのではと思ってしまうような景色が展開されている。 平日の日中でも、どこからかオタクがやって来る。不思議なもので、オタクと呼ばれる人の雰囲気は世界共通。近づいただけで「あっ、この人はオタクだ!」ということが分かってしまうのだ。 現地のオタクの人種は様々である。典型的な白人、黒人、アジア系、ヒスパニック。ポーランドやハンガリーをルーツに持つ東欧系、アイリッシュ、イタリアン。が、リトルトーキョーでは客の人種にこだわるショップ店員などいないようだ。 「オタク」は人種の壁を軽く超えてしまっている。
日系アメリカ人の歴史
しかし、リトルトーキョーの歴史とは「人種差別に苛まれた歴史」である。リトルトーキョーの象徴的建造物といえば、全米日系人博物館だ。ここでは19世紀からの日系移民の歴史を紹介し、彼らの残した遺物を展示している。 ハワイやカリフォルニアは、新天地で一旗揚げることを夢見る日本人たちの大量移民を受け入れ続けた土地である。単純に一攫千金を目論む者もいれば、何かしらの過失のために巨額の金を工面しなければならなくなった者も移民船の中に混ざっていた。福岡出身の井上浅吉は、自宅で出した火災で周囲の家も延焼させてしまったため弁済費用を請求されていた。そこで妻と子供を連れて当時のハワイ準州へ移住することにした。この浅吉の孫に当たるのが井上建、ダニエル・イノウエ上院議員である。 様々な事情を抱えた日系移民は、勤勉な働きぶりで少しずつ財産を築いていく。が、それは年々高まる白人の日系人に対する排斥感情と隣り合わせの生活でもあった。その排斥感情は、太平洋戦争勃発でついに爆発する。 当時のフランクリン・ルーズベルト大統領が発令した悪名高い大統領令9066号により、リトルトーキョーの日系人は強制収容所に送られた。都市部から遠く離れた荒野に建てられた、木製の粗末な共同住居。公民権運動がホワイトハウスを動かす以前のアメリカは、人種による確固たるヒエラルキーが存在したのだ。