全米最大のオタク文化発信地「リトルトーキョー」の苦難と被差別の歴史《現地を歩く》
公民権確立に費やした半世紀
日系人の強制収容が実行されると同時に、公民権を獲得しようという志を胸に多くの日系青年がアメリカ軍の新兵募集センターに行列を成した。 ここから高官以外は日系人のみで構成された第442連隊戦闘団が組織され、ヨーロッパ戦線でナチス・ドイツの防衛ラインを次々と突破する超人的な戦いぶりを示したのだ。上述のダニエル・イノウエ議員は、ドイツ軍との戦闘で右腕を失いながらも複数の機関銃陣地を破壊する戦果を挙げた。 彼らの犠牲が、戦時中にゴーストタウンと化したリトルトーキョーを再生し、さらに日系人の地位を確立する土台となっていく。 大統領令9066号がジェラルド・フォード大統領により廃止されたのは1976年2月19日。 戦時中の強制収容を謝罪する「市民の自由法」が制定されたのは1988年8月10日。 そして、イノウエ議員のヨーロッパ戦線での大戦果に対して名誉勲章が贈られたのは2000年6月21日。 日系人は、実に50年以上も「差別との戦い」の最前線に立っていたのだ。その戦いにおける本拠地は、他でもないリトルトーキョーである。
日米友好の懸け橋として
今日もリトルトーキョーにはオタクが集まり、漫画やアニメグッズに目を輝かせている。全米最大の日系人街は、今や全米最大のオタク文化の発信地。太平洋の向こう側にある島国日本とアメリカの「友好の懸け橋」としての役割も果たしている。 19世紀以来、現地に根を下ろしながらも差別され続けた日系人たちは、人種融和の最適解として「オタク文化を発信する」という選択肢に可能性を見いだした……とは考えられないだろうか。 だとすると、これはキング牧師の非暴力主義の延長線上とも言える。鉄パイプや火炎瓶を振り回すのではなく、多くの人に喜ばれそうなモノやコトを紹介することで日系人や日系文化の支持者を増やしているのだ。 我々の愛するオタク文化は、国際平和をもたらしている。 【文・写真】澤田真一(さわだ・まさかず) 経済メディア、ガジェットメディア、ゲームメディア等で記事を執筆。東南アジア諸国のビジネス、文化に関する情報を頻繁に配信。
オタク総研編集部