『虎に翼』寅子は“いい大人”になった? 一貫して描き続けている“雨だれ石を穿つ”の精神
恵まれて幸せだった寅子(伊藤沙莉)だからこそ成し遂げられるもの
穂高には、仕事も子育ても両方やる道を一緒に考えてほしかったのだろう。落ち着いてそう穂高に言えばよかったのだが、そのときはまだ寅子は若く考えが及ばなかった。あれから長い年月が経ち、寅子も大人になり、いまならそれがわかる。後輩の判事・秋山(渡邉美穂)は妊娠したとき、業務の時短や育休の延長を求める意見書を、賛同者に署名を求めて提出した。 恐縮する秋山に「あのとき自分がしてほしかったことをしているだけ。つまり自分のためにやっているだけよ」と寅子は大人の余裕で答える。いい大人になったということだろう。 穂高の使う「雨だれ石を穿つ」という言葉を寅子は自己犠牲と捉え(穂高は犠牲もやむを得ない、次の世代に託すしかないというようなことを言っていた)、怒りに燃えたが、長い時間をかけて、妊娠出産と仕事との問題に小さな穴を空けたといえるだろう。自分を犠牲にすることなく、自分自身で何度も何度も石にぶつかり続けて穴を空ける。それもまた「雨だれ石を穿つ」である。極端なことをいえば、誰かが特攻して散るのではなく、なにか違う方法で何度も何度も攻撃して突破口を開く案を考えるべきだということでもあるような気がした。 そう思うと、穂高は寅子にゆるさないと言われそのまま亡くなっても、穂高イズムが寅子をここまで動かしたといえる。これもまた結果的には「雨だれ石を穿つ」ではなかったか。 よく、自分が幸せでないと他者も幸せにできないというが、寅子の生き方はそれであり、寅子は自分が幼少時から恵まれて生きてきて、いまも経済的にも地位的にも申し分ない。 この幸運を他者のために生かす、これからはそういうターンに来ているのではないだろうか。そして、航一によって戦争の傷はいまなお残っている者もいるのだと示されたのち、次週は8年の長きにわたった原爆裁判の判決が出る。寅子はどのように考え行動するのか。 誰かの不幸や犠牲のうえに成り立つ幸福などあってはならない。
木俣冬