磯村勇斗×岸井ゆきの、映画「若き見知らぬ者たち」で「同じ苦しみを背負った」
磯村勇斗が主演を務める映画「若き見知らぬ者たち」が10月11日(金)に公開される。 【写真を見る】映画「若き見知らぬ者たち」に出演する磯村勇斗と岸井ゆきの 主人公の風間彩人(磯村)は、恋人の日向(岸井ゆきの)にサポートをしてもらいつつ、総合格闘技選手で弟の壮平(福山翔大)と共に、亡くなった父・亮介(豊原功補)の借金返済と認知症を患った母・麻美(霧島れいか)の介護をしながら生活している。 親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う日の夜。彩人たちにとって大きな事件が起こって...。 今回、内山拓也監督が構想に7年をかけて手がけた本作について、磯村と岸井に話を聞くことができた。 ――本作でも取り扱われている「認知症」について、どう受け止められましたか? 磯村「当事者の方とお会いしたり、レポートを読んだりすると、他人事ではなくなってくるような...ソワソワした気持ちになりました。ある日突然、自分自身がなる可能性もあるし、家族が患うこともあるので、より身近に感じましたね。もし、自分がそうなったとき、『どうしても他の方に迷惑をかけてしまうのが苦しいな』とか、いろんなことを考えました」 岸井「自分もなり得るというのもそうだし、身内が突然なることもそうですけど、特効薬がないので、そこに抗えないじゃないですか。社会的に考えると、これから支える側が増えていくと思うので、他人言ではないと思うんですよね。自分が患った場合は自分にできることがなく、支える場合も支えることしかできない...。どうしようもない気持ちになりましたね」 ――彩人は認知症になった母の介護をして生活をしています。ご自身のなかで何を大切にして演じていましたか? 磯村「認知症の夫を支えていらっしゃる女性にお話を聞くと、何度も『逃げたい』と思う瞬間や『自分が死んでもいい』と思う瞬間があったそうなんですが、それを選ばずに介護を続けられたのは、娘さんの存在があったからだそうなんです。実際にその方は『娘がいなかったら私は死んでいました』とおっしゃっていて...。お話を聞いてみて『当事者同士以外の子供、兄弟、恋人など、第三者の存在が支えになっているのではないのか』と思ったので、そこをひとつ軸にして演じたいと思いましたね」 ――岸井さん演じる日向は、彩人と交際しながらも、難病を患っている麻美を支えています。演じるにあたってどのような気持ちで取り組まれたのでしょうか? 岸井「今までの役と大きく違うのは、"受け止めている"ということですね。発散したり表に出したりせず、受け止め続けて生きるというのが初めてのことで...。私も割と溜め込むタイプではあるけど、日向にはそれ以上のことが起こる。その中で、どれだけ自分が深く潜れるか。辛い作業にはなるとは思ったんですけど、自分の心を『自分の職業はこうだから』というところじゃない部分まで行けたらなと思っていました。 内山監督は『こうしてほしい』という演出ではなく、あくまで私に寄り添ってくれて。当時、その演出のことを『セラピー』と呼んでいたんですけど、本当にわたあめを扱うかのように話してくれたし、現場もすごく繊細だけど強いエネルギーが充満していたので、おかげでずっと沈殿する気持ちの中にいられました。割と現場では気を遣ってしまう方なのですが、支度部屋でも家族の空気をかき乱さず、みんなそのままでいてくれたからこそ、遠慮せずに役をまっとうできた気がします」 ――共演者の立ち振る舞いや芝居を受けるなかで、何か感じたことはございますか? 磯村「日向が(風間家のこと)全部を背負っていくので、一番苦しかったと思うんですよ。彩人としては受け取ってもらうしかないけど、家族ではないので、申し訳ないと思うところもあって...。そのなかで彼女が、一番(風間家を)気にかけてくれていたのが、見ていて辛かったです。現場では、その状態を岸井さんがずっとキープしてくださったので、彩人として助かりましたし、霧島さんも目が全然違って、それだけで『普段はこういう状態でいるんだな』と何の疑いもせず接することができました。役者陣が相当深いところまで潜ってくれたなと思います」 岸井「磯村さん演じる彩人の服も汚いし、霧島さんはお母さんのままでいてくださるし、かたや福山さんはずっとプロテインを振ってるし...。支度場の下が撮影現場だったので、『役になる』みたいな時間がないというか。現場に行ったら彩人がいて、お母さんがいて、(壮平が)プロテインを振っていたので、『こうしなきゃ』みたいなことがなかったですね」 ――磯村さんは、内山監督とどんなやりとりをされていたのでしょうか? 磯村「監督とは出演を決めた後にクランクイン前からサウナに行ったり、ごはんに行ったり、パーソナルな部分を共有していったので、お互い良い状態で作品に入ることができた気がします。監督が作る現場は丁寧でしたし、役者、スタッフに対しても親身に向き合ってくださったので、言いたくないですけど...良い監督だと思います(笑)。これからも良き戦友みたいなかたちで、一緒に作品づくりをしていきたいと思いました」 ーー特に「若き見知らぬ者たち」を乗り越えられたのも大きいのではないでしょうか? 磯村「そうですね。同じこの苦しみをみんなで背負ってきたので(笑)、終わってからもみんなでごはんを食べに行っているんです。それぐらいキュッとした(結束力が固まった)現場でしたね」 ――岸井さんは監督と対峙していかがでしたか? 岸井「演出が不思議なんですよね。みんなに向かって『こうしてみようか』ではなく、私のそばに来てボソッと言って、他の人のところに行って...と1人ずつに話していたんです。(日向の役は)我慢をして感情に蓋をするんだけど、監督の言葉で開く感情もあったので、改めて大事な時間だったんだなと思います。脚本を7年温めてきたから余計なものがないというか。『この感情に持っていくのが難しいな』とか『この状況理解できないな』という悩みが1つもなかったんですよね。だからこそ、この作品についてストレスなくみんなで話すことができたと思います」 ――撮影を終えてしばらく経っていると思いますが、お互いの印象について教えてください 岸井「畑から帰ってきたときも泥だらけで、(役づくりで)とても痩せられていて、ずっと(磯村さんのことを)彩人だと思って現場にいたし、映画に埋没していたこともあって、楽しくおしゃべりすることもなかったんですよ。磯村さんがクランクアップされたあと、福山さんの試合のシーンでサプライズでいらっしゃったんですけど、すでに髭を剃られて、初めて私服も見たから『彩人じゃない人がいる!』と思って、悲しくて涙が出ちゃいました」 磯村「行かなきゃ良かったと思いました(笑)」 岸井「それくらい私のなかで彩人は彩人だったし、『私は磯村勇斗さんとコミュニケーションをとっていなかったんだな』と自覚した瞬間でしたね。今でもこうやって衣装を着られている磯村さんに会うと『あれ?』って思うというか。それくらい撮影の前後で印象が変わりました」 磯村「今回初めましてだったんですけど、どっぷり(作品に)浸かっている状態でお会いしたので、僕も日向として見ていました。(本編は)明るい部分もあったけど、100%の明るさではなくて、ずっと暗かったんですよね。だから、終わってからみんなでごはんを食べに行ったり、映画祭でお会いしたりしたとき、ふと『顔がめっちゃ明いな』と思って」 ――私も作品を拝見したばかりだったので、磯村さんにも岸井さんにも同じことを思いました(笑) 磯村「『こんな明るい人だったのか』という驚きがあったし、顔のトーンも1つ上がってる。改めてあの現場ではお互い別人でいたんだと思いました。役者さんとしても尊敬しているので、またご一緒したいです」 ――タイトルにかけて、お二人も演技を始めたころは「若き見知らぬ者」だったと思います。当時、どんな若者でしたか? 磯村「やりたがりな感じでしたよ。初めて舞台をやった10代のころから20代前半までは作り込んで芝居をして...みたいな状態で、とにかくかけ算をする芝居の作り方をしていました。表現をしたくて仕方なかったんだと思います」 ――いわゆる演技の引き算はできなかったと 磯村「引き算なんて知らなかったです。『引くことなんて絶対しない。むしろパワーで進んでいく!』みたいな。今はいろいろ知って学んだこともありますが、当時は前に前に進んでいたと思いますね」 岸井「私は、いわゆる小劇場と呼ばれるところに出ていたんですけど、演劇を始めたころはもう演劇をやりたくてやりたくて...。本当にお金がないので、バイトを3つとかかけもちしながら演劇をやって『私はこれでいいんだ。これがいいんだ』と思っていました」 ――大きな目標というよりは現状で満足というか 岸井「そうですね。本多劇場とか、シアターコクーンとか、プレイハウスとかに立ちたいとは思っていたけど、それで生活が良くなるとか、そこまで頭が回ってないというか。『必死に働きながら私は演劇をやっていくんだ』みたいな謎のエネルギーがありました」 ――彩人は作品のなかでさまざまな壁にぶつかります。おふたりは壁に当たったとき、どう対処されますか? 磯村「僕は壁が高ければ高いほど興奮するんですよ」 岸井「え~!」 磯村「壁を見ると興奮しちゃってぶち破りたくなるし、登りたくなります。登った先には新しい自分が待っていると考えると、それに出会うために『苦しくても頑張ろう』と思うんですよね。その壁が、どんなに分厚くても高くても何年かかろうとも、徐々に削っていく作業が好きなんだと思います」 ――そのやり方で折れることはなかったんですか? 磯村「折れたことはないかもしれないですね。なんとかよじ登ってこられたかなと思います」 岸井「興奮するって新しい。楽しいってことでしょ?すごいな~。私は自分の目線だけで壁を見るのが怖いので、『私にはこういう壁があるんです』って他の人にも知ってもらう。まず土台から一緒に話をして、聞いて、階段を作っていく感じですね。壁をぶち破る発想がないんですよ。ちゃんと正式に登っていきたい」 磯村「なるほど(笑)」 岸井「すごくゆっくりなんだけど、でも見える景色は高いじゃないですか。だから、興奮はしないけど、着実に登っていきます。とにかく焦らされるのが苦手なので、まず一旦壁を眺めて、『こういう壁か』と理解してからゆっくり登りはじめますね」 ーー岸井さんはコント番組「SICKS ~みんながみんな、何かの病気~」(テレビ東京系)に出演されていましたが、そういった新しいジャンルの挑戦も違った壁だったと思います。いかがでしたか? 岸井「あれは私側から破るのがあまりにも難しかったから、(共演者だったオードリーの)若林さん側からぶち破ってもらいました。若林さんに破ってもらったあと、そこを私が『すみません。ありがとうございます!』と言いながら通るみたいな感じでしたね」 取材・文=浜瀬将樹 撮影=MISUMI 磯村勇斗ヘアメイク=佐藤友勝 磯村勇斗スタイリスト=笠井時夢 岸井ゆきのヘアメイク=根本亜沙美 岸井ゆきのスタイリスト=森上摂子
HOMINIS