緊急提言「天皇杯決勝はリーグ終了の翌週にやるべし」(1)日本代表やJリーグ、ACLの試合に埋没しかねない「G大阪VS神戸」11月23日の最終決戦
■その開始は「NHK杯元日サッカー」
「天皇杯決勝」は、長く「元日・国立競技場」に固定されていた。その最初は、1968年度の第48回大会で、1969年元日に釜本邦茂をエースとするヤンマーディーゼルと杉山隆一など日本代表選手を並べた三菱重工が対戦し、釜本のゴールでヤンマーが初優勝(初のメジャータイトルだった)を獲得した。言うまでもないことだが、ヤンマーは現在のセレッソ大阪であり、三菱は現在の浦和レッズである。 この1年前、1968年の元日に、NHKが「NHK杯元日サッカー」を企画し、国立競技場で日本リーグ優勝の東洋工業×大学選手権優勝の関西大学という試合を組んだ。その10日後には天皇杯が開幕し、両チームとも出場することになっているのだが、NHKにとっては元日にスポーツの生中継をすることが大きなチャレンジだった。 当時の日本の社会では、「正月」の意味は現在よりはるかに大きかった。元日に開いている商店など皆無で、3日までほぼすべての商業活動が停止していた。国立競技場のある神宮外苑を舞台とした「元旦競歩(1953年に開始)」を除けば、スポーツもすべて休みになっていたのである。
■サッカー人としての「最高の幸せ」
ところが、元日の「NHK杯サッカー」は思いがけなく好評だった。明治神宮に初詣に行ったファンが国立競技場に集まり、視聴率も予想を上回った。その成功を見て日本協会は元日に天皇杯決勝を入れることを提案、NHKが了承して翌年から「元日は天皇杯決勝」となったのである。 「元日サッカー」という卓抜したアイデアであった「NHK杯」は、1回限りで終わった。天皇杯決勝が今もNHK総合で生中継され、数ある優勝トロフィーの中で「NHK杯」が「天皇杯」に次ぐ地位を占めているのは、こうした経緯によるものだ。 「元日決勝」は、1960年代から1990年代初頭にかけて、すなわちJリーグ以前、日本のトップクラスでは最も多くの観客を集める大会であり、コンスタントに3万人ほどが集まって盛り上がりを見せた。「サッカー関係者の賀詞交換会(新年の挨拶と名刺交換を行う催しの一つ)」の趣きまで生まれ、完全に定着したものとなっていたのである。 日本サッカーリーグ時代には、11月中にリーグ戦を終了して、12月に入ってから天皇杯の1回戦が始まるという形が多かった。準々決勝が12月23日、準決勝が30日、そして決勝戦が元日と、やや強引な日程だったが、年末に大会はグッと盛り上がり、元日の決勝戦を迎える形だった。 「サッカー人として、大みそかをチームの合宿で迎えられることほど幸せなことはない」 そう語る決勝戦進出チーム監督も少なくなかった。
大住良之
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