宝島夫妻の友人が明かす 1店の焼肉店から「宝島ロード」ができるまで 2人は「シンボル的存在」
東京・上野を中心に飲食店を経営していた宝島龍太郎さん(55)と妻の幸子さん(56)の焼損した遺体が、栃木県那須町の河川敷で見つかった事件。警視庁は、死体損壊容疑で逮捕した6人が共謀し、夫妻を殺害した疑いがあるとみて、このうちの仲介役の25歳の男を11日に殺人容疑で再逮捕した。事件を首謀したとみられる夫妻の長女の内縁の夫、関根誠端容疑者(32)らについても立件に向け、捜査を進めている。こうしたなか、宝島さんの友人の韓国人経営者が、夫妻や関根容疑者らについて語った。 【写真特集】「紀州のドン・ファン」怪死事件 25歳元妻を逮捕 「宝島さん夫妻は週1回くらい、うちの店でご飯を食べてましたね。2人は仲が良かったですよ。どこへ行くのもいつも2人だった。夫妻の日課は、いつも午後8時から9時ごろ、上野駅前(東京都台東区)にある、自身が経営する焼き肉店から出発し、10数店舗ある店をぐるぐる巡回していたんです。いつも私の店の前を通って行くものだから、うちの店にも寄ってくれるようになったんです。お酒は強かったです」 ■アメリカで事業失敗、日本で会社設立 そう話すのは、上野で居酒屋を経営する韓国人男性。宝島さんとは同年代で、気心が通じていた。韓国人男性は宝島さんのことを中国名の「ドン(東)さん」と呼び、会話はいつも韓国語だったという。 「ドンさんは、自分のことを朝鮮民族系の中国人だと説明していました。韓国語もペラペラでした。中国語も日本語も話せました。妻の幸子さんも中国の人で、2人は中国で結婚したと聞きました。ドンさんは『妻と娘も連れて一家でアメリカへ渡って事業をしたことがあったが失敗し、日本にやってきた』と話してました」 宝島さんが代表を務める「サンエイ商事」が設立されたのは約15年前。 「ドンさんは、上野のアメ横にやって来て、最初に経営した店が『焼肉ホルモン番長』だと言ってました」 そう聞き、店に行ってみた。
ビルの1階から3階までが店舗で、アメ横最大級のホルモン専門店だった。ただ、店は閉まっており、「ランチタイム ウーロン茶1杯サービス ライスお替り自由」の貼り紙がなんとも虚しく見えた。 宝島さんは、この「焼肉ホルモン番長」から店を増やし、大きくしていった。 「この辺りの飲食店は1軒だけではそれほど儲からない。仮に1店舗で月50万円以上儲けがでるなら、4店舗、6店舗あれば200万~300万円以上になるじゃないですか。ドンさんはコロナ禍のときも24時間営業していましたよ。他店がみんな閉まっているので客が集まった。給付金もらうよりも、逆に儲かったようです」 飲食店が潰れ、テナントに空きが出ると、宝島さんがそこに出店し、店舗を拡大したという。 ■バイトから始まった関根容疑者 「商売がうまかった。最初は『焼肉ホルモン番長』だけだったのに、一気に5店舗、6店舗となって現在の状態になっている。『宝島ロード』と呼ばれるくらい、ドンさんの物件だらけのストリートができた。一生懸命やっていた。夫妻で命懸けでがんばっていた」 宝島さんの経営する「サンエイ商事」のホームページでは、上野のアメ横周辺で経営する14店舗が紹介されている。それ以外にも店舗があり、3店舗程度を関根容疑者が任されていたという。 韓国人経営者がこう続ける。 「うちの店が終わってから1時半ごろに『宝島ロード』を通ると、ドンさん夫妻はいつもイタリアンの店の辺りにいました。関根容疑者と長女がよく働いていた店です。店のテーブルに座ってビールを飲んでいました。関根容疑者は夜中でもサングラスをして、ジャージーとかカジュアルな服を着てよく歩いていました。刺青もあちこちにしていて“チンピラ”みたいな雰囲気でしたよ」 台東区出身の関根容疑者は最初、アルバイトとして宝島さんの店で働き始めた。夫妻の長女とは学生時代からの知り合いで、2人は内縁関係になったという。その後、関根容疑者はマネジャーとなり、店舗拡大に協力していった。