「還暦祭」で真っ赤っか ── 名古屋の大須商店街「どえりゃあ感謝しとるがね」
昔の楽しさを復活させる「大須大道町人祭」実施
「大須はいつ遊びに来てもお祭りをやっているみたいに賑やかなのが楽しい!」 春日井市から訪れたという女子中学生グループも、真っ赤に飾られた街に目を輝かせる。サンバパレードが目玉の「大須夏まつり」、節分宝船病列が練り歩く「節分会」、スケール感とインパクトで話題の「大須コスプレパレード」など、毎月のように何かが行われているのもまた大須の顔だが、復興のきっかけこそが、祭りだった。 1977年に地下鉄鶴舞線伏見~八事間開通に伴い、大須観音駅が開業し、同年、大須のシンボル的存在「アメ横ビル」がオープン。「大須大道町人祭」はその翌年に始まった。 「子どもの頃から近所にガマの油売りがいたり、大道芸人が日常の中にいたんですよ。その頃の楽しさや賑わいを復活させようという祭りです。第1回は私が23歳の時でした」 大須商店街連盟広報担当の石原基次さんは大須生まれの61歳。戦時中からの「大須盛り場連盟」を引き継ぎ、1955年に結成した大須商店街連盟と共に、この街で生きてきた。商店街は九つの振興組合、つまり九つの通りからなり、約500店舗が入会している。 「大須大道町人祭は、商店街のみんなで企画して手作りでやっています。お客さんも含めてあくまでも“町人”のための祭りですから」
祭りが人を作り、人が街を作る
ただし、この祭りにはひとつの掟(おきて)があるという。“祭りの実行委員長は、一生に一度しかできない”。今年で38回目を迎えるゆえ、これまで38人の実行委員長が生まれていることになるが、「この掟が、街を盛り上げるためには、良かったようです」と石原さん。 祭りを実行するには多くの手間や苦労が伴う。実行委員長となれば、それを先頭に立って引き受けねばならない。だがその分、達成感や作り上げた人間関係はかけがえがなく、祭りのリーダーを務めあげた後は、自然と大須の街づくりの方に携わっていくことになる。 「祭りが人を作り、人が街を作る。大須はそうやって成長してきたのでは」と石原さん。 脈々と重ねられてきた38人分の経験と個性は、確かに大須の街のパワフルさに繋がっているようだ。