高橋みなみ「満員になる過程はどのメディアにも追いかけられず…」AKB48デビュー当時の苦労を振り返る
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。4月23日(火)のお客様は、永野さんと高橋みなみさん。ここでは、高橋さんがAKB48・1期生としてデビューした当時を振り返りました。
◆高橋「AKB48はインディーズ」
永野:モーニング娘。って、デビュー当時から社会現象だったじゃないですか。 高橋:すごかったですよね。 永野:(ファーストシングルの)「モーニングコーヒー」がリリースされたときも「(目標販売枚数を)達成した」みたいに、最初からテレビが(企画として)追いかけていて。 全国的なイベントもあって一気に名が知れ渡るし、「〇〇のことを応援しよう」っていうのがあったけど、(AKB48のデビュー当時って)そうではなかったよね? ノリがインディーズ的というか。 高橋:AKB48はめっちゃインディーズで、(デビュー当時は)本当に最初の一瞬だけ光が当たったんですよ。「おニャン子クラブ以来の秋元康さんプロデュースだ!」ということで、ゲネプロ(本番同様におこなう最終リハーサル)は関係者がめっちゃ来て“これは華々しくデビューできる!”と思って、(劇場公演の)本番初日を迎えたら、(お客さんが)7人しかいなかったんですよ。 永野:え~!? 高橋:そして、売れていく過程というか、満員になる過程はどのメディアにも追いかけられず……。 永野:マジで!? 高橋:本当にそう(笑)。 永野:ごめん、これって何万回も聞かれていることだよね? 今このエピソードで感動している人って俺だけかもしれないけど(苦笑)。 高橋:ハハハ(笑)。でも、うれしいですよ。 永野:でも「会いたかった」っていう曲はめっちゃ知ってますよ。 高橋:今になると皆さんに言っていただけるんですけど、実は「会いたかった」をリリースした当時は全然売れなかったんです。やっとみんなが(AKB48を)知ってくれるようになったのが、多分「ヘビーローテーション」の頃とか。 永野:もちろん知っています。 高橋:あそこらへんだったら、結構皆さん「知ってるよ!」って言ってくださいますね。 (TOKYO FM「OKYO SPEAKEASY」2024年4月23日(火)放送より)