「相棒はイグアナ――異色の婚活物語で描きたかったこと」『イグアナの花園』上畠菜緒インタビュー
コミュニケーションはなぜ難しい?
――前半、小学四年生の美苑がけがを負った蛇を助け、意思疎通できるようになる一方、クラスメイトとはうまく関係を結べません。 上畠 高度な言語コミュニケーションは人間特有のもの。人と人とのつながりの根幹となる重要なものだと思うのですが、美苑はそれを人間ではなく動物とできてしまう。だから人間ではなく動物のほうに傾倒してしまいます。 ――どうして人間とのコミュニケーションが難しいのでしょう。美苑は「人間の言葉が苦手なんです」と言い、美苑の母は「人間の言葉は簡単で、軽く、そして鋭すぎる」と応じます。 上畠 言語は心の近くにあるけれど、心そのものではないからじゃないでしょうか。思考や感情を一番詳細に表現できるツールなのに、ものすごく扱いが難しい。ウソを言ったり、誤解を与えたりしてしまう。下手をすると自分の心も相手の心も傷つける凶器みたいな一面もありますよね。 一方、蛇やイグアナのソノとの対話は心と同じ場所に言語があるイメージです。心で思ったことが相手にそのまま届くので、誤解やウソが生まれないんです。 ――それだけで美苑が満足してしまうのもわかる気がします。でも、それだけではいけない、と美苑の周囲は心配するわけですよね。 上畠 やはり人間である以上、社会と関わらないと生きていけない。それは経済的なことだけじゃなく、精神的な面でも。考えたくないことですが、やはりたいていの動物は人間より先に死んでしまう。その時に社会に属していないと、本当に孤独になって、生きる気力を失くしてしまうじゃないですか。それは「なぜ人は結婚するのか」という問いに対する答えの一つでもありました。
「馬づら」は誉め言葉。動物は人間よりも美しい。
――前作は、天国へ連れて行ってくれるという架空の生き物「しゃもぬま」が登場しましたが、今作も動物がカギとなります。上畠さんが動物に惹かれるのはなぜですか。 上畠 美しいからです。美しいから好きなのか、好きだから美しく見えるのかはもはやわかりません。「人間の常識が通じないところ」「言葉がわからないのに信頼関係を築いたり、愛情を形成できるところ」など、他の理由も思いつきますが、私、アニメ映画の『ズートピア』が好きなんですよ。あれって、見た目が動物なだけで中身は人間ですよね。なので、やっぱり一番はルックスが好きなんでしょうね(笑)。「馬づら」とか「豚っぱな」とか人間の容姿を動物にたとえる言葉も、私からしてみたら誉め言葉なんです。 ――面白い! いわゆる美人とかイケメンには惹かれないんですか? 上畠 いえ。アイドルの女の子を見て、きれいだなって思うこともあります。でも、その辺を歩いてるわんちゃんを見ると、もう、圧倒的に美しいと感じるんです。 ――動物のどういうところに美しさを感じるんですか。 合理的なところ。速く走るために足の長さが整えられていて、筋肉がこんなふうに発達しているのか、美しい……と。人間は脳の発達のために二足歩行になっただけで、自然から生まれた体の形ではないんですよね。 ――その視点をお持ちだから作中の動物たちを生き生きと描写できるんですね。 蛇を保護しようとした美苑に対し、父の友人で大学教授の児玉先生は「世話をすることで、死ぬまでの時間を長引かせてしまうだけかもしれんぞ」「判断はすべて自分なのに、その結果はすべて動物に受けさせることになる」などと忠告します。上畠さんはペットショップにお勤めだった経験があり、今もインコと暮らしているそうですが、人間が動物を飼うことについてどう考えていますか。 上畠 食べることと同じだと、自分では思っています。強い種の特権。人間が強者だから食べるも飼うも相手を好きにできる。だからその分、責任も負う。食べる時は命を奪っていることをわかったうえでおいしくいただくし、飼う時は命を預かっているんだと自覚し、飼うからには絶対に幸せにするんだ、という思いで飼っています。うちの子はコガネメキシコインコという種類で、三歳児くらいの言語能力があると言われています。「飲み水、換えようか」と言うと、「ジャボジャボ」と水音を真似して応えるんですよ。なんのジェスチャーもしていないのに。この子は天才か? と、つい親ばかになってしまいます(笑)。