SNARE COVER、川上シゲと梅野渚を迎え語る「痛みがあるから生まれる強さ」
私の中で浮かんだ映像を遥かに超えて素晴らしい曲になった
ー梅野さんは、最初に「永い夢の終わり」をお聴きになっていかがでしたか? 梅野:映像がはっきりと浮かんできたんです。暗闇にいるんだけど、遠くから光が差してきて、それが一気に特急列車に乗ったみたいにバーっと視界が開けていく。子供達の遊んでいる声が聞こえてきて、木々に包まれた中に電車がわーっと走って行く映像。それをどうにか音で表現できないか?ということでチェロとピアノで録りきったものの、列車に乗ってる感じが出ないというか、一気に視界が開けていく感じが足りないなと思っていたところ、シゲさんに演奏していただくことになって。まず私が見た映像をお伝えしてからレコーディングが始まりました。イントロでトレモロが聞こえてきた瞬間、「これは絶対大丈夫だ」と確信しました。私の中で浮かんだ映像を遥かに超えて素晴らしい曲になったと思います。 川上:それこそ、彼女は絵を描くんですよ。リハーサルでやる曲や、その日のライブをイメージして絵を描いてくれる。絵を描いてくれるほうが僕にとっては譜面渡されるよりイメージが膨らんで分かりやすいですね。言葉でも説明があって、「この曲はこうやって、遠くにこういう感じで」って。しかし遠くって一体どの音を出そうかとかね(笑)。 梅野:ふふふ。レコーディングの時は観念的な短い文章を読んでお伝えして、それだけでシゲさんは見事に再現してくださる。私はベースを弾けないし、専門的なことはわからないんですけど、自分が見たものを伝えるということが一番伝えやすいですし、それを汲み取ってくださって音にしてくださるので、とても楽しい時間でした。
自分を肯定して生きていっていいよなって思ってもらいたい
ーそこでコミュニケーションが図れるのがすごいですよね。斎藤さんはお2人の演奏をお聴きになって、どんな印象を持ちましたか? 斎藤:もとは僕から生まれた曲ですけど、それが明確になるって言うんですかね。本来、曲はなんでもありというか、どういうふうに行き着いても正解なんです。でも、今回の演奏を聴いて明らかにクリアになる感覚があって。自分が作った言葉の意味がちゃんと音に現れて、さっきお話しした「後ろ姿を見失わないよう」の重要さとかが、音が入ることによって明確化しましたね。 ー他の楽曲もお伺いしていきたいんですけど、「永い夢の終わり」以外で好きなとかありますか? 川上:「戦火のシンガー」が好きですね。「永い夢の終わり」とは逆の攻撃的な雰囲気を感じて、そういうのがもっと広がっていくんじゃないかなと思っています。 ー梅野さんいかがですか? 梅野:私はEPの最後に収録されている「大人」ですね。「夢から覚めた いい夢だった」で歌が始まるんですけども、その時点でいい夢じゃなかったんじゃないの? みたいな。どうして「いい夢だった」と言っているのに、なぜ違って聴こえるんだろう?と思ったんですよね。最後は「大人よ諦めないで」で締めくくられるんですけど、この曲は自分や大人たちに対する怒りの感情が伝わってきたんです。大人たちがいろいろなことを諦めていることで、流されたりすることで、世の中が変わってくると思うんですけど。その責任を自分も含めて大人たちは担っている。「どうにかそれを諦めないでくれ」という彼の怒りや願いがすごく伝わる曲で。先ほどレクイエムのお話がありましたけど、魂を鎮めるのではなくて、この曲は魂を目覚めさせる曲だと感じました。 斎藤:梅野さんの話を聞いて、丁寧に受け取っていただいているなと思いました。歌詞の内容も僕的にはストレートだと思っているんです。その中で僕の性格も出ているし、“諦め”を皮肉って歌っているところもある。「大人よ諦めないで」ってあまりに残酷で、化け物に言われているような言葉だと、僕は思っていて。自分より綺麗なものとか優れているものを見て、心から「すごい、美しい」と思える人ってどれだけいるのかな?と疑問で、僕だったら絶望を感じるんです。「自分はそこのステージに行けないんだ」という敗北を繰り返して生きてきていて、その中でもなんとか美しさを手繰り寄せようとしている感覚。自分にとって音楽を表現することは、そういった今までの劣等感や諦めるしかなかったものを肯定できる唯一の武器なんですよね。 ーそれが「大人」に込められている。 斎藤:そうなんです。同時に、聴く人の応援歌になったらいいなと思うんですよ。なんでもかんでも手に入れられた自分だったら、作っていない曲だと思うし、最近読んだ小説の中に「歌って俗から生まれるものなんだ」という一行があったんです。この曲を作ってから読んだ小説ですけど、「あ! この曲にすごく当てはまる言葉だな」と思って。2番のサビで「愚かさ重ね生きる」と歌っているんですけど、自分や世の中に対して「大人になるってそういうことなの?」って問いている感覚とか、自分に対して絶望している部分もあるんだけど、それでも美しさがほしいという切実な想いの曲なんですよね。癒やされてほしいなと思います、この歌で。 ー癒やされてほしい? 斎藤:みんな、後悔とかいろいろな黒いものを抱えていると思うんですね。でも、そういうところに美しさはあるよって。そういう部分から生まれる美しさで自分のことを肯定してあげることってできるよ、という自分なりの想い。そうしないと、生きるのってつらいと思うし、意外といろいろな人がそうやって抱えて生きている。すごい幸せそうに充実しているように見える人でも、抱えていきているはずだって僕は思っていて。それを表現したかったんです。「いいんだ、自分は」と思ってもらいたいというか、「美しさを求めていいよな」と。今の自分でも、自分を肯定して生きていっていいよなって思ってもらいたいんです。 ーなるほど。 斎藤:レッド・ホット・チリ・ペッパーズに、ジョン・フルシアンテというギタリストがいまして。僕はジョンが作る音楽がすごく好きなんです。今でも残っているんですけど、ジョンが薬漬けでガリガリになって、手に震えが残っているライブ映像があって。そのときにつくった楽曲を聴くと、ちょっと引く部分もあるんです。「うわー、大丈夫なの? もう死ぬ寸前じゃん」って。その反面「そういうものだよな」と腑に落ちたところもあったんです。それでも美しさというか、何かを求めている姿。めちゃくちゃ一生懸命やっている、なんとかしてやろうというふうに見えたんです。その姿を見せてくれたことが、自分にとっては希望だったし、かっこよさでもあったし、そこに人間の深みを感じた。そんな状況から今は回復したので、よりすごいなと思ったんですね。