中村憲剛の父から突如…「息子殴っていいから」 取り払われた“壁”、川崎の太陽に蘇る歓喜の記憶【インタビュー】
元川崎ジュニーニョ、盟友・中村憲剛と日本へ捧げたメッセージ
Jリーグで計11年プレーしたブラジル人のジュニーニョ氏は、2003年からの9年間を川崎フロンターレ、2年間を鹿島アントラーズで過ごし、特に川崎ではその圧倒的なスピードとテクニックでゴールを量産し、「川崎の太陽」と呼ばれた。 【実際の映像】吉田沙保里さんが中村憲剛に向かってタックルを仕掛けた決定的瞬間 その活躍を語るうえで欠かせないのが、すべての年月をともに過ごした中村憲剛氏とのコンビネーションだ。12月14日に行われた引退試合のために来日したジュニーニョ氏が語った、親友へのメッセージを紹介する。※インタビューは来日前のブラジル北東部サウバドールで実施。(取材・文=藤原清美) ◇ ◇ ◇ 「僕は現役引退後、今もサッカーの世界に生きているんだ。サッカースクールを運営し、指導もしている。僕の情熱だからね。子供の頃からプレーしてきて、サッカーを離れるなんて、できることじゃない。一生をかけてやっていくよ」 彼の住むブラジル北東部は、選手輸出国と言われるブラジルの中でも、才能の宝庫として知られている。 「今は色々なプロジェクトも手がけようと、動き始めているところだ。特に僕らは日本にとても感謝しているから、今後も日本サッカーが成長していくためなら、何でもやりたいと思っている。今考えているのは、良い選手を送り込むこと。鹿島アントラーズでプレーしたフェルナンドもここが地元で、今は代理人をやっているんだ。 日本へ行った際には、何人かの友人たちとパートナーシップを結ぶための話し合いもする。そしてここに戻ったら、クオリティーの高い選手たちを育てていくんだ。プロとしてあるべき姿を伝えながらね。それに僕らはどんな人材が日本サッカーへ適応できるかが分かる。その選手の人間性、プレー面の特徴も含めてね」 ジュニーニョが日本への感謝を語るうえで、忘れられない瞬間がある。 「思い出すだけで鳥肌まで立ってくるのは、サポーターだ。というのも、僕はここブラジルでサポーターのプレッシャーの中でプレーするのに慣れていたんだよね。良い試合が出来なかった時には、そのプレッシャーはさらに大きくなった。 ところが、日本に行って、ある試合でチームが負けた時のことだ。スタンドのサポーターが、みんなで声援を送ってくれるのを見たんだ。『行くぞ! 次の試合で頑張ろう! 僕らはやれる!』……それが僕の心を揺さぶった。日本ではサポーターが支えてくれる。どんな時も一緒に戦う存在なんだ。それが心に刻まれているよ」 チームメイトたちとの友情も、大事な思い出だ。 「みんなと友情を築けた。川崎では慣れないところからスタートして、今だから言える笑い話をしよう。というのも、最初は言わないほうがいい言葉ばっかり教えたがるチームメイトたちがいるものでね(笑)。木村(誠)や森勇介には、いつも足元を救われた(笑)」