においはすごいが可能性もすごい 「ギンナン」グルメ化に励む町
防火目的のイチョウが生んだ特産品
祖父江町は22平方キロメートルほどの広さ。そこにイチョウが1万本以上植えられており、樹齢100年を越える大木も約100本あるといいます。 11月下旬から12月上旬になると、神社、仏閣、家々などに植えられた町じゅうのイチョウが黄葉します。特に、イチョウ畑が集中する名鉄山崎駅周辺は黄金色の風景が広がります。 同時に、鼻を刺激してくる、ギンナン特有のにおい。一説ではその成分は、足の悪臭の元でもある酪酸と、腐敗臭のようなにおいを発するヘプタン酸ともいわれ、それが複合されると考えただけで思わず顔をしかめてしまいそうです。 こうした特性を持つ木がなぜこれほど多く植えられたのでしょうか。 元をたどると江戸時代、冬に「伊吹おろし」と呼ばれる北西からの冷たく乾いた風が吹きつけるこの地域で、火事が強風によって他に広がるのを防ぐのが目的だったといいます。 防災用のイチョウはギンナンという新たな収入源を生み、屋敷内で収穫されることから「屋敷銀杏」と呼ばれました。品種改良も進み、大粒で苦味がやさしい「久寿(久治)」、中粒の「金兵衛」や「栄神(栄信)」といった品種がこの地で生まれました。 生産に力を入れるようになったのは約100年前のことです。 「地元の人が名古屋へ売りに行ったところ、高値がつきました。従来品より大粒だったため、6~7倍の値段だったともいわれます。以来、栽培が本格化し、イチョウ畑が広がりました」と祖父江町商工会の足立尚さんは話します。 「イチョウの木というと上に伸びているイメージかもしれませんが、ここでは接ぎ木によって枝を横へ広げてきました。高い位置では収穫しづらいですから。実用的なだけでなく、その風情もいいものです。街路樹とは異なるイチョウの幻想的な姿を見ることができますよ」
恐竜時代の「生き残り」が日本に定着
イチョウは祖父江町だけでなく、国土交通省の調査によると、全国の道路に植えられている高木の数で、サクラ類やケヤキを抑えて長年1位の座を守っており、多くの人にとって身近なものです。 植物としての歴史は長く「生きた化石」といわれるほど。多様なイチョウが中生代には世界中に分布し、実際のイチョウ科の化石は中生代の約2億年前の地層から確かめられています。 しかし、「イチョウのほとんどの種類は中生代の終わり頃に恐竜とともに滅びました。それが中国で1種類だけ生き残り、諸説ありますが6世紀半ばに仏教伝来とともに日本にやって来たとも、鎌倉時代に渡ってきたともいわれています」。名古屋市の東山動植物園を管理する東山総合公園緑地造園係の木口将綱さんと佐々木尚美さんに聞くと、こんな興味深い歴史が飛び出しました。 「恐竜時代の最後に中国で生き残った1種類」が細い糸でわれわれと結ばれたイチョウ。今では社寺の境内や街路などに植えられ、すっかり日本に定着したわけです。